映画酒場、旅に出る 第5回
2014.11.14
映画をめぐる小さな物語をつづった個人冊子『映画酒場』発行人であり、エディター&ライターの月永理絵による旅日記。(月2で更新中)
7月19日
猫沢エミさんの『パリ通信』を読んでもうひとつ行ってみたかった映画館、それが「ラ・パゴド」(La Pagode)だ。7区にあるラ・パゴドは、1920年、当時のボン・マルシェの社長が自分の妻に贈り物として建てたものだという。なかにはホールがふたつあり、ひとつは普通のスクリーンだが、もうひとつが有名な「Salle japonaise」(日本のホール)。奥さんの趣味にあわせてつくられたというこのホールは、壁や天井一面に東洋風の装飾が施されていて、入口には寺院のような立派な門がある。日本風とは思えないがとにかくアジア風なのはよくわかる。映画館とは思えない、なんともふしぎな建物だ。
私たちが見に来たのは、マチュー・アマルリックの監督最新作『青い部屋の女』。ジョルジュ・シムノン原作のサスペンスで、ある理由から刑務所に拘束されている主人公の話らしい。幼なじみの女と不倫をしていた男だが、だんだんと彼女の狂気的な愛に脅かされていく。観客は私たちをあわせて4人のみ。淡々とした映画だが、途中まさかの展開に驚かされ、見終わってしばし呆然とする。
すぐ正面にある映画ポスター専門店に寄ろうと思ったのだが残念ながら休業日。しかたなく近くでランチを食べるお店を探していると、活気のあるお店を発見する。「食堂」と言いたくなる雰囲気のお店でメニューもいたってシンプル。本日の料理の豚肉料理と、ビストロ・カフェの定番、鴨のコンフィをそれぞれ注文する。あっという間に出てきたお皿の内容もシンプルそのもので、メインの肉の横にジャガイモのピューレが添えられているだけ。素晴らしく美味しいわけではないが、日本の古い食堂のようで楽しい。
ふと見ると横のテーブルに男の子ふたりと小さな女の子、両親の5人家族が座り注文をしている。私たちと違ってメインのほかに前菜も頼んでいるのだが、出てきたものを見てびっくり。これまた定番のにんじんのサラダ、卵のサラダの他に出てきたのがなんと生ハムとメロン。八つ切りにしたメロンの横に無造作に生ハムが添えられているだけ。これを、小さな男の子たちが器用にナイフを使いながら食べている。フランスではこんな小さな子たちも生ハムメロンを食べるのか、と感心する。ただしステーキはあまり気に入らなかったようで、ふたりとも肉を残してジャガイモのピューレをおかわりしていた。
帰宅後、マレーシア航空の旅客機がウクライナ東部で追撃された事件を知る。ガザ空爆といい、悲惨なニュースが続くことに唖然とする。
7月20日
朝からアリーグル広場のマルシェへ。野菜を色々買い込み、近くのパン屋へお昼用のパンを買いにいく。いつもバゲットばかり食べているので、今日はもっといろんな種類のパンを食べようと、パン・オ・レザン(レーズン入りパン)とパン・オ・ノワ・ノワゼット(くるみとヘーゼルナッツ入りパン)を買う。パンをスライスしてもらうときには「tranche」という言葉を使うことを知る。午後はboidから近々刊行する『フィリップ・ガレル読本』の原稿をひたすら書く。DVDでガレルの『彼女は陽光の下で長い時間を過ごした』を見る。とにかく変な映画だ。
7月21日
そろそろ帰国日が近づいてきたので食べたいものを積極的に食べようと、お昼はお気に入りのお店「Song Heng」にてカンボジアの汁なし麺ボブン。ボブンとフォーしか無い小さなお店だが、いつ来ても混んでいる人気店だ。家では仕事の合間にゆっくり読書。ピンチョンの『ヴァインランド』を中断して、重信房子が娘メイのために書いた『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』を読む。
7月22日
午後はクリュニー中世美術館へ。有名なタペストリー「貴婦人と一角獣」を初めて見る。パリではいろいろな美術館に行ったけれど、もしかするとここがいちばん好きかもしれない。帰りに近くの書店「ジベール・ジョゼフ」(GIBERT JOSEPH)へ寄る。大型のチェーン店なのだが、日本にはない本の売り方をしていておもしろい。新刊と同じように古本も一緒に並べていて、黄色いシールが貼ってあるかどうかで区別できるようになっている(貼ってあるほうが古本)。両方あれば古本のほうばかり売れてしまう気もするが、まずは古本を探してみてなければ新刊を買うという感じなのだろうか。私は知人から頼まれていたサミュエル・フラーの自伝を買う。こちらは新刊のみ。
今回パリで試してみたかったのがフォアグラのパテ。夏にフォアグラなんて季節外れもいいところだけれど、せっかくだからとスーパーの肉売場へ。しかし当然ながら高い。フォアグラもどきの缶詰なら1ユーロ近くで売っているのだが、本物のパテとなると安くても一瓶12ユーロ以上。予算オーバーでひとまず断念し、代わりに10ユーロのアルザスワインを買う。さすがにGrand Cru(ワインの格付けの最高級)のワインは美味しいと感激するが、よく考えれば日本円で1500円ほどなのだった。
7月23日
パリにはふたつの大きな森がある。ブローニュの森とヴァンセンヌの森。前回ヴァンセンヌへピクニックに行きとても楽しかったので、今回はブローニュへ行ってみることに。夜は怪しい界隈だとは聞いていたけれど、昼間なら大丈夫だろうと、お菓子やジュースをもってはりきって出かける。リヨン駅発のバスに乗ると、パリを横断する形でブローニュに着くという。バスで30分ほど揺られながら窓の外の景色を楽しむ。そう、このときはまだピクニック気分で浮かれていたのだ……。
バスの乗客がどんどん少なくなり、窓から見える景色はパリ郊外といった雰囲気が濃くなっていく。いよいよ終点。しかし外に出るとどうも様子がおかしい。たしかに森の入り口はあるのだが、ヴァンセンヌに行ったときのように公園のような場所が見あたらない。何より歩いている人がまったくいない。若い女の子がふたり道路に座り込んでいるが、何気なく見ていると、通りがかる車に近寄りお金をねだっている。
森に入るのがためらわれたので、とりあえず車がずらりと並んだ通りを歩いてみることに。ところがこの停車した車がまたおかしい。生活感はあるがあきらかにもう何年もその場から動いていないのがわかる。車のなかから大量のカバンや靴をゴミ袋に入れて運び出している女性を見かけ、つまりこの車の列は人々の生活の場なのだとようやく気づく。
さてどうしようとSとふたりで戸惑っていると、道の先に家族連れのような人々の姿を見つけ、ひとまず先へ進んでみることにする。ところが家族連れに見えたのは少年たちの集団だった。車の側で何やらいろんな品物を囲んで話をしている。私たちが近づくと、彼らが怪訝そうにこちらを見ているのに気づく。やはりここは私たちが歩く場所ではない、と判断しあわてて元来た道を駅まで引き返す。途中、これまたたくさんのカバンや服を広げている集団を見かけ、いびつな場所に迷い込んでしまった、とこわくなってくる。そこからほんの少し歩いただけでとたんに高級住宅街になるというのがまた複雑な気持ちにさせられた。
なんだかぐったりしてしまったので、この際ふだんは敬遠しているスノッブな場所へ行ってみようと、途中下車をしてオペラ座近くのデパート街へ向かう。ギャラリー・ラファイエットで高級食材をひやかしながら、せっかくなので鴨のコンフィの缶詰というものを買ってみる。夕食を食べるとようやく気持ちが落ち着いてきた。後からネットで調べてみると、今日バスを降りたのは、数ある森の入り口のなかでも「ここは危ない」と言われている場所だったようだ。パリの影の部分を見た気がした。
月永理絵
1982年生まれ。映画関連の書籍や映画パンフレットの編集を手がける。
2013年11月に、映画をめぐる小さな物語をつづった個人冊子「映画酒場」を創刊。「映画と旅」を特集した第2号も発売中。
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