ヘテロトピア通信 第2回
2014.11.28
2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)
〈ニホンゴに棲みついて〉Text by Wen Yuju
夏の盛り。灼きつく太陽から逃れたくて日蔭を懸命に選びながら歩いていたら、電話が鳴る。めずらしい方からの着信に楽しい予感がする。
「オンさんに、r:eadに参加していただけないかと思って……」
予感的中。電話の相手は、管啓次郎さんに誘われて高山明さん率いるportB「東京ヘテロトピア」の仲間に加えてもらったときに知り合った相馬千秋さんだった。
5年間にわたる日本最大の舞台芸術祭フェスティバル/トーキョーのプログラム・ディレクションをはじめ、国内外でさまざまな企画のプロデュースやキュレーションを手掛けてきた相馬さんが、「r:ead」という名称のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを企画している、という話は以前にもご本人からうかがっていた。
residency / レジデンス
east – asia / 東アジア
dialogue / ダイアローグ
の頭文字を繋ぎあわせて、r:ead、リード。
中国、韓国、台湾と日本に在住しているアーティスト同士が、芸術や社会に対してそれぞれ抱えている問題意識を共有しあいながら対話を重ねられる場をめざしている、と説明していたときの、夢を語るひと特有の熱を帯びつつも、それを実現するにちがいない現実味を感じさせる相馬さんの凛とした口ぶりを私は思いだす。「アーティストや、評論家・ドラマトゥルク・キュレーターのためのコミュニケーション・プラットフォーム」。聞くだけでワクワクとさせられた。そのときは、いつか自分が声を掛けられるとは本当に思ってもみなかった。
一昨年、昨年と、過去の2回を東京・巣鴨で開催していたr:eadが、この秋、台湾・台南に舞台を変えて行われることになった、と電話のむこうの相馬さんが話す。
――オンさん、わたしたちと一緒に、台湾、行きませんか?
台湾、ということで、私のことを相馬さんは連想したのだろう。そして、声を掛けてくれた。
――行きます、行きたいです。
炎天下で、弾む自分の声が反響する。急いで携帯電話を持ち直すと、よかった、と聞こえてくる声も弾んでいた。
相馬さんとの電話を終えたあと、
――r:eadといえば、『torii』の下道さんも参加していたっけ。と思いだす。
「東京ヘテロトピア」の舞台の1つであった高田馬場のミャンマーレストラン「ノング・インレイ」で、蝉のから揚げを肴に、自分たちを心地よく刺激する作品の魅力について熱々と語りあったのは、夏の初め。
中村和恵さんの『日本語に生まれて』と共に、満場一致で「第1回鉄犬ヘテロトピア文学賞」を受賞した(させられた?)のが、下道基行さんの写真集『torii』だった。
真夏の盛りに催された「贈賞パーティー」(その宴のもようは、木村友祐さんによる「ヘテロトピア通信 第一回」をお読みください)の席で、私もr:eadに参加するんです、と伝えると、『torii』の著者はわざわざ鞄の中から手帳をとりだして、
――イヌ≄ハチ公 待ち合わせ場所=ハチ公。
と書きつけてある箇所を示す。私の眼差しが物問いたげだったのだろう。下道さんは説明する。
――r:eadのときのメモなんです。あのとき、ぼくは発見したんですよ。ハチ公像は、単なるイヌの像じゃない。待つ、という形のモニュメントなんだって。
そのことを掴みとった瞬間の興奮がよみがえってくるのか、下道さんの声はだんだん弾む。私は笑った。そんな下道さんの傍らには、待ち合わせ場所、ではなく、トロフィーになった鉄のイヌが輝いている。そう思ったら楽しくなったのだ。下道さんが話すのを聞きながら、『torii』の巻末に収録された日記にある筆跡そのままの、楽しげに踊る文字を見せてもらっていると、第1回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞者が経験したr:eadの興奮がじかに伝わってきて、くらっとする(漢陽楼の美味しい紹興酒のせいだったかもしれないけど)。
……それから、旅の秋はやってきた。といっても私が飛び込んだのは東京でいう夏の盛りの気候の台湾・台南。
東京・にしすがも創造舎から台南・国立台南藝術大学へと舞台を“移動”した「r:ead#3」のテーマは“游動民”。
台南で、韓国、台湾、中国の仲間たちと対話を重ねる日々は、南国の太陽に育まれた野生の果実のごとく独特の濃厚さがあった。その内容をイチから書くとトンでもない分量になる。
(ご興味のある方がいらっしゃれば、ぜひともこちらをご覧くださいませ。同一の内容が少しずつズレながら中国語(簡体字&繁体字)・英語・日本語・韓国語の文字で飛び交うにぎやかなサイトがとっても楽しいですよ!)
なので私も、あの日の下道さんにならって、東アジアの仲間たちと遠足した日のメモを抜粋する。
「……龍果畑のぴんぴん生えてる草をかきわけてドラゴンフルーツの果実をもいだあとは、無数の中華提灯が煌々と光るただっぴろい媽祖廟におもむき、みようみまねの中華式お祈りをしたのだ。海の女神さまに拜拜(bài bài)したら、まあるく光る月明かりのもと荷台にのせられて田圃道をがたがたと進み、地産地消の素材でとびきり洗練された料理をたらふく食べておなかを膨らます。その頃には日もとっぷり暮れていて、遊び疲れたし、おなかもいっぱいの夢うつつで、山の奥の宿舎をめざしてすすむ大型バスに揺られていると、いろんな音が聞こえてくる。日本語と韓国語と中国語と台湾語、少しの英語も飛び交う中、自分のコトバが日本語なのは本当にほんの偶然でしかないんだなあ、などと感じて、具体的なふしぎ心地。そんなレジデンス・東アジア・ダイアローグ」。
……台湾の、台南の風景の中を“遊動”しながら、私はずっと考えていた。ほんの偶然ではあるけれど、日本語が今の自分の思考の杖となっていると思うと、この偶然を軽んじるのはもったいないなと思う。かといって、運命、と呼ぶほど重んじるのは、自分の思考を日本語に縛りつけるようで窮屈だ。
――偶然以上運命未満。
日本語に生まれなかったものの、いつのまにか棲みついていた。そんな自分と日本語の関係をそう決めたとたん、大型バスに揺られる私の心地良さはさらに増す。きっと台南のバスの運転手さんは腕がいいのだ。車をゆりかごのように動かせるなんて!
窓を見やれば、田んぼだらけの夜空にぽっかりと浮かぶ月が追いかけてくる。いや、動いているのは月ではない。私たちを乗せたバスだ。私は目をつぶる。今感じていることを、遠からず私は、だれかに話すのだ、と思う。だんだんと弾んでくる私の声を、みんなが笑って楽しんで面白がってくれるのならすごく素敵だな、と思う。
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温又柔(おん・ゆうじゅう)
1980年、台湾・台北生まれ。3歳から日本・東京在住。著書に『来福の家』(集英社)。イヌはもちろん好きだけど、好きな動物は?と急に訊かれたらパンダと答えてしまいそう。