Top > Column一覧 > ヘテロトピア通信 第20回

ヘテロトピア通信 第20回

2019.02.07

ヘテロトピア 通信

2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)


鉄犬ヘテロトピア文学賞についてはこちら

<「第5回 鉄犬ヘテロトピア文学賞贈賞式」レポート>Text by Yusuke Kimura

 2018年12月22日、下北沢の本屋B&Bにて、「第5回鉄犬ヘテロトピア文学賞」の贈賞式とトークイベントが開催されました。受賞作は、この賞では初の翻訳作品となる『大海に生きる夢』。
 まずは、司会の管啓次郎さんからの開会の言葉がありました。「第5回は、激論の末、私たちは初めてこの翻訳作品を選ぶことにしました。この翻訳作品を、日本語の作品として、そして私たちの問題意識と直接に関わるものとして選ぶことができたことに、大変に幸運であったと思いますし、深い感謝を、作者と翻訳者に捧げたいと思います」。
 そして事務局のぼくから、受賞作についての講評として「ぼくらがすっかり忘れ、もはや目に入らなくなった命の世界に気づかせてくれる」と伝えたあとで、いよいよ正賞である鉄犬燭台と盾の贈呈となりました。この日のために台湾の蘭嶼から来日した作者のシャマン・ラポガンさんには、選考委員の山内明美さんから鉄犬燭台が手渡され、台湾原住民文学を長年伝えてきた訳者の下村作次郎さんには、同じく選考委員の田中庸介さんから盾が贈呈されました。
 祝福のために駆けつけてくださった、台湾文化センターのセンター長・朱文清さんが、心のこもったお祝いの言葉をお二人に贈ります。そのあとで、シャマンさんと下村さんに受賞の言葉をいただきました。シャマンさんの通訳をしてくださったのは、池田リリィ茜藍(チェンラン)さんです。

49321893_2019-02-10_12-50-10_選考委員の山内明美さんからシャマンさんに鉄犬燭台を贈呈↑仙台から駆けつけた山内さんからシャマンさんに鉄犬燭台を贈呈

49321895_2019-02-10_12-50-47_台湾文化センターのセンター長・朱文清さん。心のこもったお祝いのスピーチ↑台湾文化センターのセンター長・朱文清さん。心のこもったお祝いのスピーチ

 シャマンさんは、「自分の作品にどういう評価をしてくださったかわかりませんでした。一昨日、自分の友人が中国語で訳したのを読み、初めて知りました。みなさんにお伝えしたいのは、生まれて0歳から、この歳62歳まで生きてきましたが、今日こそ、最も麗しい、美しい、奇跡だということです。この奇跡というのは、私は蘭嶼島の作家でありながら、東京で受賞しているということです」と話されました。そして、自分の作品が日本で評価されることになったのは、かつて蘭嶼を訪れた作家の津島佑子さんが台湾原住民文学の意義を日本の文学界に伝えたことがきっかけだとして、感謝の気持ちを述べました。
 また、「このヘテロトピア文学賞を作ってくださったみなさまも、ヘテロトピアなる存在としてとても素晴らしいと思うと同時に、この賞というのは、ノーベル文学賞に等しいと私は思っています。この場を借りて、東京という街に感謝申し上げたいとともに、ヘテロトピア文学賞に携わった作家のみなさま、ご尽力いただいたスタッフの皆様、どうもありがとうございました」と話され、そしてなんと、シャマンさんのおじいさんが歌っていたという歌を披露してくださいました。素朴な明るさをたたえたその歌に、聴いているこちらも、蘭嶼でシャマンさんの家族と一緒に火を囲み、歌に耳を澄ませている気持ちになりました。

49321899_2019-02-10_12-53-45_反骨の中にユーモアがにじむシャマンさんのスピーチ↑反骨の中にユーモアがにじむシャマンさんのスピーチ

49321891_2019-02-10_12-49-28_シャマンさんのお話に聴き入る↑タオの表現を交えたシャマンさんのお話に聴き入る

 下村さんは、「私たちは、台湾に関して、ある種、無知だと思います。それは、無知であることを意識すればいい」と話され、日本の植民地時代、「理蕃(りばん)政策」という厳しい政策のもとに台湾の原住民族が抑圧された歴史を伝えました。忘れられがちな、でも決して忘れてはいけない重要なお話。そうした時代をへて、1980年代の民主化運動のなかからシャマンさんをはじめとする原住民族の作家が生まれてきたのだと下村さんは教えて下さいました。その流れを伝えるなかで言われた一言、「彼らは、これから、不幸になってはいけません」という言葉が心に残ります。
 下村さんは、姜信子さんや津島佑子さん、高樹のぶ子さんなど、台湾原住民文学を評価する人たちや出版社に支えられながら翻訳を続けてこられたことに感謝の心を伝え、「もう少し、原住民文学を、がんばって翻訳していきたいと思います」「私までいただきまして、作者だけでいいはずですけども、ほんとうにうれしく思っています。ありがとうございました」と話されました。

49321894_2019-02-10_12-50-32_台湾原住民族が抑圧された歴史を語る下村さん↑台湾原住民族が抑圧された歴史を語る下村さん

 贈賞式の第二部は、シャマンさん、姜信子さん、井鯉こまさんの鼎談でしたが、シャマンさんの作品には自然と対話するための歌が満ちているという姜さんと井鯉さんの重要な視点から、「歌の祭り」となりました。まずは管啓次郎さんが、最近ご自身が選詩集を手がけた八戸の詩人・村次郎の詩に曲をつけた歌をお返ししました。「海が見える」というフレーズが繰り返される歌は、海の民のシャマンさんを歓迎するのにふさわしいものでした。すると、その歌に刺激されたシャマンさんから、タオの恋の歌のプレゼントがありました。これもまた、心にしみいるすばらしい歌でした。

 姜さんは、シャマンさんの『空の目』から一節を読み、その本を読んだ感銘の中で思いだしたというある日本の作家の文章を続けて読みました。それは、石牟礼道子の『苦海浄土』第三部の一節。ふたりに共通するのは、近代の底から、あるいは果てのほうから上げられた声があり、歌があるということ。そして、我々は近代を生きていくうえで歌をなくした、近代というのは声をなくしていく時間だった、と話しました。核心に迫るその言葉を受け、井鯉さんは「何も返す歌がない」「自分の歌がない」ことに悲しい気持ちになったことを打ち明けました。姜さんは「この近代を超えていくためには、我々はきっと、シャマンさんと石牟礼さんが示したように、歌、そして声を取り戻さなくてはならないんだろう」と言われました。その言葉には、近代以後の今の世界を覆う、合理的な思考ばかりを重視して、生きものとしての感情を軽んじる価値観への、大きな疑義が含まれています。

 姜さんの言葉にシャマンさんは、自身も一度忘れてしまったタオの伝統を取り戻していった過程について語りました。郷里に帰ったとき、母に「舌の先がかゆい(あなたが海で獲った魚を食べさせてほしい)」「お前は男か。男なのになぜ魚の獲り方を知らないのか」「お前はずっと風にいじめられている(海に潜るために汗水を流していない)」と言われ、魚が獲れない自分を痛感したこと。そこから長い時間をかけて漁のやり方を体得していき、ようやくタオの男として認められることができたこと。そのように、一度は退化し、忘れかけたけれど、自分の体と生命をもって海の中に入り、魚の世界に分け入り、そして、海洋世界の中に自分が入りこむことによって、自信と、海洋民族の何たるかを取り戻したのだと。ただ、タオの言葉と世界観を華語(中国語)で表現するのは難しく、今も学び続けているところだと話されました。

 それからもう一曲、祖父が歌ったタオの歌を聴かせてくださったシャマンさんに向けて、姜さんは、旅する人の無事と幸いを願う沖縄の歌「海上節」を贈ることを提案。特別参加の説経浄瑠璃師・渡部八太夫師匠の三線の音色に合わせ、会場のみんなで「かりゆし、かりゆし」と歌いました。「おめでたい」という意味の「かりゆし」と歌うことで、あらかじめ旅の無事を祝うのです。言葉よりもさらに根源的な心の通い合いと言いたいほどの、温かな至福のひとときとなりました。

 国家や文壇の権威に一方的に取り込まれることを拒絶し、自分の祖国は「青々しい海」であり、「私の身体が海洋文学だ」と告げるシャマンさん。そして、シャマンさんたち原住民族の作家に寄り添い、深い理解と尊敬の念を寄せながら、翻訳を通じて彼らの作品を地道に紹介してきた下村さん。そのお二人に、ぼくら日本の書き手や読み手も大きく揺さぶられ、共振した夜でした。それは、東京の片隅で起きた、小さくとも一つの歴史的な出来事だったといえるでしょう。

49321897_2019-02-10_12-52-32_第二部の鼎談は、このあと「歌の祭り」に!

49321898_2019-02-10_12-53-28_渡部八太夫師匠が歌う「海上節」

↑第二部の鼎談は、このあと「歌の祭り」に! (左)    /    渡部八太夫師匠が歌う「海上節」(右)

49321896_2019-02-10_12-51-41_第二部で歌のお返しをする管啓次郎さん                 ↑歌のお返しをする管さん

 

……………………………………………………………………………………………………………………………………

木村 友祐 (きむら・ゆうすけ)
1970年、青森県八戸市生まれ。
日本大学芸術学部文芸学科卒業。
著作/『海猫ツリーハウス』(集英社)、『聖地Cs』(新潮社)、『イサの氾濫』(未來社)、『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社)、『幸福な水夫』(未來社)。

<写真/Photo感写 門出格宏(「Photo感写」HP)>

↑ページトップへ