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ヘテロトピア通信 第5回

2015.11.09

ヘテロトピア 通信

2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)


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〈フランクフルトにいくつもの「学校」を〉Text by 高山 明

 

 2014年9月、ムーゾントゥルム劇場は新ディレクターにマティアス・ピースを迎え、新しいシーズンをスタートした。オープニングは『完全避難マニュアル』のフランクフルト版で、劇場の新たなオープンニングなのに劇場を使わない都市のプロジェクトから始めたわけである。『完全避難マニュアル・東京版』は2010年にフェスティバル/トーキョーで初演された。インターネットを入口に、山手線29駅すべての駅の近くに「避難所」を設定し、そこに参加者を導くという、都市を使った演劇プロジェクトである。そのフランクフルト版ということになるが、当然ながらフランクフルトは東京とは異なる町である。山手線のように町を周回する電車はないし、人の動きも家から職場までの同じルートを行ったり来たりするだけの場合が多いようだ。しかもマティアス・ピースからのリクエストはライン・マイン地域全体を使って欲しいということで、フランクフルト、ハーナウ、オッフェンバッハ、マインツ、ヴィースバーデン、ダルムシュタットを電車でつなぎ、地域の人々に普段は通らない「迂回路」を体験してもらうことが課題となった。さらに人々が避難について抱いているイメージもまったく違う。東京ではホームレスの人たちが重要なテーマになったが、フランクフルトではアフリカから避難してきた難民の人たちにスポットを当てた。

 あれから一年が過ぎた。周知のように、難民は日々ドイツを目指してやってくるようになった。ハンガリーには壁が作られ、オーストリアはドイツから来る電車を出入り禁止にしてしまった。そのような情勢を受けて、ムーゾントゥルム劇場のマティアス・ピースから難民問題に取り組んでもらえないかという相談を受けた。劇場の存在意義をアピールする打ち上げ花火的な企画ではなく、しっかりリサーチをして、3年から5年がかりの長期プロジェクトを考案してほしいということだった。日本で「難民問題」について考えるプロジェクトをやったことがあったとはいえ、ヨーロッパを揺るがすような問題に日本から来た自分が向き合えるとは思えなかったし、難民問題をこれ見よがしにテーマにしてそれをすぐに表現に変えてしまうアーティストに大きな疑問を感じていたから、なかなか決断できずにいた。その一方で、自分なりの応答ができないものかという気持ちもあった。そんな時、『完全避難マニュアル』で作ったある避難所を思い出した。

 『完全避難マニュアル』のフランクフルト版では40ヶ所以上の避難所を作ったのだが、その一つにアフリカからの難民にアルファベットを教える「学校」があった。エチオピアレストランの一室を借りて、お茶を飲みながらラテン語のアルファベットを学ぶ。先生をつとめたのは日本人留学生で、主にエリトリアから避難してきた難民たちが生徒となった。エリトリアも日本もラテン文字のアルファベットを持たない文化なので、後から学習しなければならない。アフリカからきた難民がドイツに来て苦労することの一つはアルファベットが読めないことだと聞き、彼らの語学教材を見るといきなりHalloから始まっていて、確かにこれではスタートから躓いてしまうなと思った。そこで日本人がアルファベットを学ぶ方法やテクニックが役立つのではないかと考え、避難所として「学校」を作ったのである。するととても面白い場になった。アフリカからの難民がアルファベットを学べたというだけではない。彼らはドイツで暮らすエチオピア人に出会い、日本人留学生に出会い、その授業を手伝いに来たドイツ人と出会い、そこにゆるやかなネットワークができていき、公演が終わった今も関係が続いている。

 こうした「学校」を、正確に言うなら学校のイミテーションを、演劇の枠組みで演劇として作る。それがいつの間にか演劇を脱し、町や社会の機能になっていく。嘘から出た真という方法。これで行くならば、単に難民問題をネタとするような表現は避けられるかも知れないし、演劇を実社会のなかでテストしてきたこれまでの活動に結びつけるかたちで、難民問題に対して自分なりの応答ができるのではないかと考えた。こうしてフランクフルト中に小さな「学校」を作っていくプロジェクトを始めることになった。アルファベットを学ぶだけではなく、「授業」の科目を増やし、様々なタイプの「学校」が生まれていけばいいなと夢想している。現時点で考えているポイントはざっと以下のようなことだ。

 ①エリトリアから来た難民と日本から来た留学生が出会ったように、ドイツ人(ヨーロッパ人)
 —難民という二項対立を崩すこと。
 ②教える側と学ぶ側という一方通行的関係では立ち行かないような「授業」にすること。
 ③エチオピアレストランが「学校」に変わったように、既存のレストランや喫茶店や駅や
 インターネットカフェや教会やホテル等々に寄生し、演劇を二重化することで、
 都市の見え方や使い方を変えてしまうこと。
 ④「学校」同士をつないでネットワーク化すること。
 ⑤「難民(問題)」や「学校」という概念やフレームそれ自体を揺さぶること。
 

 最後の点が①、②、③、④を貫く軸なわけだが、ドイツ語の「授業」という言葉のなかに重要なヒントが隠されている。演劇研究者・ドイツ語翻訳者の林立騎さんから教えてもらったところでは、「授業をする」という意味のドイツ語「unterrichten」には、「richten(裁く、判決をくだす、方向を決める)」ことより「unter(下の)」というニュアンスがあるという。つまり、裁き、判決をくだすことよりも下の、その基礎となる部分を扱う、あるいは方向を決める前の場所にとどまって、考え方や感じ方の訓練をするという意味があるらしい。ドイツ語のなかに蓄えられている知恵の奥深さに驚くが、「unterrichten」という単語のなかにその知恵を感じとれるドイツ人がどれだけいるのだろうか。ひょっとすると「裁き、判決をくだし、方向を決める、その下」と翻訳できる私たちの方がより意識できるのではないか。ドイツで、いろんな国から避難してきた人たちとともに、足りなかったり出来なかったりする部分を逆手にとって、「unterrichten」を本義に立ち戻りながら展開し、町中に拡散していくことを徹底した先には、既存の秩序や概念を揺さぶり、再検討するための時空間が開かれることだろう。その時空間は、ドイツでもアフリカでも中東でもないような、しかし個別に実在する“他なる場所=ヘテロトピア”の一つ一つに違いない。
 
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高山 明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。既存の演劇の枠組みを超え、実際の都市をインスタレーション化するツアーパフォーマンスや、社会実験プロジェクト、言論イベント、観光ツアーなど、現実の都市や社会に介入する活動を展開している。
http://portb.net/

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