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ヘテロトピア通信 第8回

2016.03.17

ヘテロトピア 通信

2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)


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<ファクチュアリズムと詩の氾濫>text by 田中庸介

 

 あの震災からちょうど五年がたって、このほど米国の「Jung Journal – Culture & Psyche」誌のエディターをしているサンフランシスコの年長の友人、ポール・ワツキー氏から声をかけてもらって、日本の俳句・短歌・現代詩のアンソロジーを出版する機会に恵まれた*1。俳人の宮下惠美子さんがゲストエディターとして俳句を担当し、ぼくが短歌と現代詩を担当した。短歌のところの実務は石川美南さんにお願いして基本的に彼女の考えで進めてもらい、現代詩は[1]あまりこれまで英語圏の読者に紹介されていないけど重要な、存命中の日本の詩人で、[2]ユング的な考え方にマッチングがよく、さらに[3]現代的なポストコロニアル批評に耐えうる作品、ということを念頭に日英対訳のアンソロジーを(1)Sawako Nakayasu(2)稲川方人(3)くぼたのぞみ(4)本人(5)四方田犬彦(6)鈴木志郎康(7)中本道代(8)金時鐘(9)三角みづ紀、という陣容で組みあげ、ジェフリー・アングルス、久保光彦、ポール・ワツキーの各氏に翻訳の手伝いを頼むことができた。

 ぼくは「日本の戦後詩――光と影を抜けて」というようなタイトルのミニレビューで、日本の戦後詩の歴史と震災前後の詩の変化について(蛮勇をふるって、はじめて英文で)書くことになったのだが、和合亮一さんや新井高子さんが「いわゆる」現代詩の制度内における言語詩のゲームプレイヤーから、もっと「ファクチュアル」に「再人間化」した詩へと踏み込むことによって、彼らの詩的出発が果たされたことを中心に書こうと思った。それまでの和合さんはとにかくたくさん言語と取り組むことで前に進む詩人だという印象しかなかったのだが、震災時に自然発生的に書きはじめたブログ詩が大ヒット、新しいローカルでパーソナルな詩へと自分の表現世界をシフトさせた。また新井さんは震災を契機に詩の言語を見直し、標準語から群馬の方言へとシフトして、没落していく近代織物産業の歴史と一体になったご自身の係累についての名作『ベットと織機』(未知谷)を刊行した。

 これらの変化は、東日本大震災というひとつの出来事によって顕在化されたものではあるけれども、よく考えるとこの十五年くらい、詩は「ファクチュアル」じゃなければだめだとか、アウトドアによる身体化は大切だとか、アーティストがアートによって、詩人が詩によって自己疎外されていてどうするとか、さんざん言い続けてきたが詩の世界ではほとんど無視され続けてきたことに、やっと実現の光が見えてきたというふうにぼくの立場からは思える。このような変化は、詩とか詩のことばになにか特権的で魔術的な力を無理して追究しつづけるというよりも、いくつもの不連続面をジャンプしたもっとマージナルな発想によって、カリブの黒人詩人エメ・セゼールが『帰郷ノート』で書くところの「人間の仕事」*2を深く実現するという実にまっとうな課題へと文学の主題を取り戻すことだという気がする。つまり、その記述がより個人的でより局地的であるほどその内容がより世界的で、そしてより普遍性を得ることができるというポストコロニアルの「世界文学」の命題へと、われわれの文学がようやく接続されてきたのだとぼくには思える。このほど「The Deluge of Isa」という英文タイトルをぼくがつけさせてもらった木村友祐さんの画期的な東北弁小説『イサの氾濫』(未来社)のように、心の津波がぼくらの文学にも押し寄せ、そしてほんとうに人間らしい主題の再獲得へと、ポストモダン文学があきらかに変容していきつつあるのだ。

 ぼくにとっての震災は、その二日前にジェフリー・アングルスと会食をしていたまさにその時に起こってしまった実母の急逝とセットにしてしか語ることができない。「からし壺」(「妃」15)という詩は、同郷の深沢七郎の名作『楢山節考』へのオマージュを通奏低音に、母の遺骨が指に刺さる、というややショッキングな出来事を赤裸々に描いたものである。このような現実のできごとに材をとった詩は、この頃また、さとう三千魚さんのウェブサイト《浜風文庫》などで復活の兆しにあるけれども、それが単純な「路上派」とか「日常詠」というような薄さに陥らないためのヒントは、あるいは詩人らがこれまで軽蔑してきたアララギ派短歌の「写生」をめぐる議論のなかに隠されているかもしれないと感じている。ここ数年にわたって、ある雑誌で茂吉ノートを書き継いできたけれども、斎藤茂吉が確立した「実相観入」とはつまるところ、常識の限界を突き抜けた瞬間的想像力に逢着するのではないか。

 あらゆる文学とは所詮、心のスクリーンに描かれた夢である。しかしそれだからこそ、エリオットが「記憶と欲望をミックスする」と書いたように、歩いていくうちに夢の中の小道でふと誰かに出会うような瞬間が、詩の喜びには存在するものだ。エッセイのタイトルをふと冗談めかして引用したことから深沢七郎が詩の中で歩き始め、名作『楢山節考』と自分の行ないとの間に回路ができる、というこの作品の結構は、まったく意図しないうちにつるつると出てきたものである。上記アンソロジーと、もうひとつの城西国際大学刊の震災アンソロジー”These Things Here and Now”のために、ジェフリーは少し違ったふうに訳し分けてくれたけれども、鎮魂をこめて、これからもこの詩を読み継いでいきたいと思う。

*1 http://www.tandfonline.com/toc/ujun20/10/1#.VuLWFObEPcI

*2 なぜなら、人間の仕事はもう終わったとか、/われわれにはこの世界で何もすることがないとか、/われわれは世界に寄生しているのだとか、/われわれは世界に従うだけでよいのだとか、/そんなことはまるでほんとうではないのだ//そうではなく、人間の仕事はいまやっと始まったところだ/そして人間はまだ、自らの熱情の片隅で凝り固まったあらゆる禁制を征服しなければならない/そして美と知性と力はいかなる人種の独占物でもない(砂野幸稔訳、平凡社ライブラリー版、102-103)

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田中庸介(たなか・ようすけ)
1969年東京生まれ。詩人・細胞生物学者。1989年「ユリイカの新人」、同年より詩誌「妃 kisaki」を編集。
詩集に『山が見える日に、』(思潮社/第5回中原中也賞候補作)、『スウィートな群青の夢』(未知谷)。
「場所の移動」をライフワークとしてありとあらゆる境界を突き抜ける方法を模索、詩の領域をひろげている。

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