Top > Column一覧 > それぞれの道具「道具と出合う、本の中へ」 8 ”めぐらし屋”

それぞれの道具「道具と出合う、本の中へ」 8 ”めぐらし屋”

2015.10.02

中澤 季絵

中澤季絵(なかざわ・きえ)イラストレーター/絵描き  絵で暮らしをいろどる楽しさを軸に幅広く活動中。理科系出身、生き物がとてもすきです。脇役蒐集人。このページでは、本の中の道具を描き連載中。 www.kienoe.com

めぐらし屋の、大学ノート

 

「黒い背にすり切れた金文字の商標が入っている厚手の大学ノートをひろげたとたん、蕗子さんは言葉を失った。表紙の裏に画用紙の切れ端が貼りつけてあって、そこに黄色い傘が描かれていたからである。」

『めぐらし屋』 堀江敏幸 作 新潮文庫より

 

resize_310_450_SBB_c_8_megurashiya

 

ほんの落書きみたいな、走り書きみたいな。
そういう、とりとめのないことで心に平和がもたらされて、
今日という人生が祝福されるの。
今ここにある毎日を、ああこれでいいのだと思えたら
手も、足も、急にぽかぽかしてくる。

「めぐらし屋」は、長い間離れて暮らしていた父のもうひとつの顔。
主人公の蕗子さんが、「めぐらし屋」を知る人との出会いや遺品のノートをもとに、
その不思議をたどって動き出す。

最後まで「めぐらし屋」の正体は謎を残して、ぼんやりと浮かんでいるけれど、
今日という一日を、自分の知らない父の側面さえも、まるごと受け入れていくのだという
蕗子さんの決意だけは、ぐうっと力強くて、はっきりと伝わってきた。

家族といっても、本当は知らない。
この眼に見えているのは、ものごとの限られた側面かもしれない。

それでもここにある毎日を見ていこうと決めたなら、平穏に潜む目が覚めるような煌めきや、
鳥肌が立つような闇の深さにも出合うかもしれない。そのまま全部抱きしめよう。
思い出すだけでふんわりあたたかくなるような、最高に特別で、それでいてガラクタみたいな記憶を
いつのまにか身体に集めて生きていくのは、なんだかしあわせなことだと思うから。

↑ページトップへ