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「もやもやの午」 其の二『名古屋の女(ひと)』1

2017.02.18

イトウ ユタカ

イトウ ユタカ:音楽製作業と並行して近年、著述業を開始。2015-16年、雑誌SWITCHにて 音楽家・小島ケイタニーラブ、写真家・朝岡英輔とともに記事を連載。小島と作家・温又柔 のユニットpontoに雑談/音響として参加中。雑談が好きなので、雑談家という肩書きをつ くってみました。雑談しましょう。

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 名古屋という街には人生において馴染みがない。東京の郊外で生まれ育った僕に関西や九州の親戚友人はいたが、名古屋にはなぜか一人もいない。子どもの頃、母の実家のある大阪に向かう新幹線で途中停車した名古屋駅にて車窓から見える「河合塾」の看板を見た記憶がある。東京にもあるその塾は、隣に乗っていた父が名古屋発祥だと教えてくれた気がする。あるいは大学時代の友人で何人か名古屋から上京してきた者がいた。一様にどこかヘンな人が多かったが、そもそもその友人たちの印象をもって名古屋を語れるわけではない。車の免許の合宿で長野県に滞在していたとき、宿舎の昼食で出た冷やし中華にマヨネーズを入れていたのは名古屋から来た人たちだった。あとはとくに思いつかない。名古屋は通過するだけ、あるいは飛び越えてしまうだけの街だった。そんな僕は今、早朝の高速バスで新宿から名古屋に向かっていた。

 

 かつてバンド活動をしていた。バンドといってもライブハウスのフロアを汗臭くさせるようなものではなく、90年代の終わり頃に少しだけ流行していたポストロックに影響を受けた、その二番煎じのようなものだった。大学時代にサークル仲間と結成し、都内のライブハウスやカフェなどでライブをしながら自主制作盤のCDーRをせくせくと売り歩いて、小さいながらも会場が満杯になることもあった。しかしバンドの収入ではとても生活していけるほどではないのはみな分かりきっていた。就職活動のシーズンになりメンバーで話し合った結果、全員一致の結論は「卒業後は就職してバンドを続ける」というものだった。卒業後はみな結論どおりにそれぞれ就職したが、僕ひとりが三年と持たずにやめてしまい、派遣社員をしながら食いつないでいた。ライブは土日休日しか入れられなくなり、動員は年を経るにつれてすこしづつ減っていった。ブッキングの誘いもなくなり、声がかかってもジャンルや客層が到底噛み合わない雑なものが増えていく。リハーサルの集まりも悪く新曲もなかなか固めることができない。メンバーが全員30歳を超えた頃には僕以外のメンバー三人は既婚者となり、うち二人にはすでに子供がいてもう一人も来月には産まれる予定だった。そして、あるライブが終わったあとの後日、ミーティングと称して集まったカフェで全員一致で出した結論は「もうやめよう」だった。いや、正確に言えば僕は続けたかった。他にやることも、やらなきゃいけないこともなかったのだから。

 

 その後、誰が誘うでもなくメンバーで飲みに行った。今までずっと何かを我慢していたのかのように、他愛もない話で楽しく盛り上がった。学生時代の打ち上げの席はいつもこんな感じだったかもしれないと思った。ただ、もうバンドのことはだれも口にしなかった。そのとき店内に設置されていたテレビで今年行われるという伊勢神宮の式年遷宮のニュースが流れた。白い装束姿の神官が玉砂利の間に敷かれた石畳の通路を歩いている姿が画面に映し出される。それをきっかけにして前回の遷宮の時にメンバーの一人が家族で神宮を参拝したときのことを熱く語り出す。古いお宮と新しいお宮のコントラストが美しいとか、そもそも神宮には人生に一度は行くべき!など。ほろ酔いも手伝ってか僕も他のメンバーもその熱に感化され、これは行くしかないだろうということで早々とその場でお互いの仕事のスケジュールを調整し、半月後の連休中と日程を決めてしまった。どこか卒業旅行に行くような、わくわくした気分でその日は終電間際に家路に着いた。翌朝に東京から伊勢への行き方を調べてみると、名古屋から近鉄特急に乗ると一本で着くようである。皆と出発の時間が合わず、伊勢での待ち合わせになったので移動は一人だ。その時ふと思いついた。名古屋まで1日前乗りして、一泊してみよう。理由は特にない。ただ知らない街を一人歩いてみたくなった。何か面白いことが起きればバンドのメンバーへの土産話にもなるかもしれない。すぐに、早朝に新宿を出発する名古屋までの安い高速バスをネットで予約した。

 

 東名高速に入り加速を始めたバスの車中で皆に前乗りすることを伝えようとメールを書いていた矢先、僕以外のメンバーからはそれぞれの都合で伊勢には行けない旨のメールが次々に届いた。急な出張が入った、子供が熱を出した、奥さんが産気づきそう、どれも仕方のない理由だし、そもそも皆が出発するのは明日だ。僕だけがもう出発してしまったのだけど。今回は無しにしようか、そうしよう、と誰かのメッセージ。旅の目的を失ってしまった車中で卒業旅行気分はみるみるしぼんでゆく。書きかけていたメールを削除してイヤホンをつけ目を閉じた。自分のバンドの曲はスキップした。バスは昼過ぎに名古屋駅に到着した。太閤通口と呼ばれる出入口の前でA子を待った。

 

つづく

 

写真 /朝岡 英輔

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