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「もやもやの午」 其の四 『Documentary Poem “或る男のモノローグ”』

2017.05.24

イトウ ユタカ

イトウ ユタカ:音楽製作業と並行して近年、著述業を開始。2015-16年、雑誌SWITCHにて 音楽家・小島ケイタニーラブ、写真家・朝岡英輔とともに記事を連載。小島と作家・温又柔 のユニットpontoに雑談/音響として参加中。雑談が好きなので、雑談家という肩書きをつ くってみました。雑談しましょう。

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 (肌寒さの残る春のはじめ。小雨。東京にある小規模な繁華街の外れ。細い通りに面した薄暗い立ち飲みバー。BGMは九十年代のアブストラクトヒップホップでボリュームは控えめ。ウイスキーが立ち並ぶ客席カウンターに六十代の男が一人。痩せたシルエットのスーツ姿にノーネクタイのワイシャツ。薄い無精髭に落ち窪んだ頬。眼光は鋭い。髪型はオールバックだが白髪混じりの髪の毛は薄く、櫛でといた隙間から地肌が覗く。長いグラスに二杯目のハイボールがのこり半分くらいだが、氷はほぼ溶けきっている。煙草はLARKのロング。灰皿には吸い始めてすぐ消えた一本が置かれている。)

1

 あの頃は、自暴自棄になってたんだよ。もうどうでもいいっていうかさ。三重県で所帯をもってたんだけど、いきなり女房が実家にもどっちまって。向こうの両親がむかえにきて子供ごと宮城に連れて帰っちまった。それで、もうどうでもよくなった。仕事も辞めて酒ばっか飲んでたけど、まったく生きる意味も感じられなくてさ、のこりの金持ってとりあえず家を飛び出したんだよ。で、たどり着いたのが栃木で。どこの街かは忘れたけどそこで金がなくなっちまったんだよな。だから、無銭飲食してムショ入ろうと思ったんだよ。そうすりゃ寝るとこも食うもんもあるしどうにかなるな、と。で、ラーメン屋入ってラーメン食い終わった後、そこの店主に、金ねえから警察呼べって言ったんだよ。店主のおやじはうーんて唸ったあとすぐ電話かけた。そしたら当たり前だけど警察きて署に連れてかれたよ。でもさ、そのお巡りが言うんだよ。

 「お前、自暴自棄になるにはまだ早いよ。まだまだ人生やり直せるから。」
 そんで、二千円くれたんだよ。
 「この金でとりあえず池袋行けよ。池袋行けば、どうにかなる。」
 三十年以上前の話さ。いまじゃそんなことありえないだろうな。
 ラーメン代は払ったのかって?知らねえよ!俺は払ってねえ。

 で、よくわからずに宇都宮ってとこから池袋まで行ったんだ。でも田舎もんがはじめてあんなでけえ駅ついてもさっぱりわからねえし、どこに何があるのか見当もつかない。で、駅の地下道をふらふら歩いてたら、声をかけられたんだよ。
 「お兄さんいま何してるの。」
 そいつはオカマだった。
 「見りゃわかるだろ歩いてんだよ。」
 「お兄さん、仕事は?」
 「あるわけねえだろ、ここに来たばっかだよ。」
 「今日は泊まるとこあんの。」
 「あるわけねえ。金も無し、そもそも泊まる場所がどこにあるのかもわからねえ。」
 「じゃあついてきて。」
 よくわからないままとりあえずそのオカマについってたらサウナに着いた。そこは住み込み(寝るときは客と同じ仮眠室でねるんだけどな)で働けて、しかもカップラーメンくらいの賄いはついてたんだ。オカマはそこの従業員だった。その日からそこで働くことになったんだよ。オカマとはできてねえよ、おれは女が好きだ。

2

 一ヶ月とにかく働いたよ。寝て起きて働いての繰り返しだ。給料は笑っちゃうぐらい安かったけど、野垂れ死ぬよりましだな。そして初任給がもらえた。二万三千円だ。その金持って迷わず後楽園に行った。野球じゃねえよ、馬だよ、馬。場外馬券場あるだろ。そのときいったレースの本命馬に全部つぎ込んだのさ。いま文無しになっても寝床もカップラーメンもあるし、死にはしないからな。そしてそれがズバリ的中、六万六千円になって帰ってきたんだよ。そりゃあもう最高だ!そんですぐ池袋戻って、キャバレーみてえな、スナックみてえなとこに飲みにいったんだ。そこがもうほんとブスばっかりでさ・・・。飲みながら、その中でも一番ましなやつに今晩どうだって声かけたんだよ。そしたら、オッケーだってさ。その日はそいつの家ですごしたよ。次の日の朝、サウナの仕事はもう行くのをやめた。女ができたからな。

 その女はおれより十六歳も年上で、家は桜上水の駅前にあったんだよ。そんときは男がいたから、おれがおういと声かけて、マンションの七階の窓からそいつが手を振ってきたときは行ってもいいって合図だった。でも、いるときは入れなかったからそのときは泊まるところがねえ。仕方がねえから池袋で、住み込みで働ける別のサウナで働き始めた。そこは変な作りで、一階と二階が男性用で四階五階が女性用。で、三階にバーがあって、そこは男女共用。つまりそこで出会いがあるわけだ。なんのって・・・そういう出会いだよ。おれも従業員だったけど、関係ない。まだ三十代だったしいろんな女と遊んだよ。しょうがねえだろ、若いってそういうことだ。

 あるときおれと同い年の同僚が、そこでおれが仲良くなった女とデートしたいっていうから、仲をとりもってやったんだよ。そして一回デートにこぎつけたらしいんだが、そのあと向こうがそいつの連絡を無視し続けたらしくて、仕事が終わったあと、おれに文句を言いに来た。おれが嫉妬してなんか吹き込んだんじゃねえかと思ったんだろうな。もちろんおれはそんなことしてねえけどな。そう、おれの言葉はいまこそ標準語だけど当時はまだ三重の訛りがきつくてな、これがまたガラが悪いんだよ。名古屋と関西のきたねえ感じをちょうど混ぜたような感じだ。そいつに初デートは何したのか聞いたら、公園行ったとか言いやがって、三十過ぎた男が公園デートはねえだろ、ふざけんなよおめえ、って言っちまったんだ。そしたらそいつ切れやがって厨房から包丁取りだしてきた。で、思わず刺せるもんなら刺せや!って腹突き出したら、そのままズブっといっちまった。

 腹を刺されてもさ、痛みなんかねえんだよ。テレビとか映画のアレは嘘だな、大げさ。ただ血が水みたいにドバドバ出ていくから、だんだん意識が遠のいていくんだよ。救急車に乗せられて、救急隊が受け容れてくれる病院を探すためにいろんなとこに連絡してる。その間に女が駆けつけて一緒に乗り込んできた。やっと決まって車が動き出したころはもう飛んじまってて、目醒めたときは管がたくさん繋がれた病室だった。あまりに出血がひどかったもんだったからB型の血液が足りなくなって、おれの女は警察署やら他の病院やら自分の勤め先やら、いろんなとこに掛け合ってB型の人間を探したらしい。刃先は肝臓まで達してて、医者も一か八かの縫合手術をした。まあ、九死に一生だよな。刺したやつはすぐ捕まって七年だか刑務所行きだ。おれはしばらく桜上水で寝たきりだったよ。女はつきっきりでおれを看護してくれた。あいつは、おれの女になったよ。

 おれは働くのをやめた。金はおれの女がその日稼いだぶんでやりくりした。パチンコはよく行ったよ。駅前の、いまは焼肉屋になってるとこにあったほうな。結構出たんだよな。勝った時は二人で豪遊だ。負けたら家でおとなしくする、その繰り返しだよ。飲み屋やパチンコ屋でよく会うメンツとはだんだん仲良くなって、東京にもポツポツ友達ができた。でも、今はみんなもう年だよな。昔みたいに出歩かないし、もういなくなっちゃったやつも結構いる。

 おれの女は、先月死んだ。十年前にいきなり倒れてから、ずっと介護してたんだ。命の恩人だからな。最期まで面倒みるつもりだったけど、ここ二年くらいはおれも体が悪くて。それも、昔刺された時の手術で体内に入った細菌が、年取って免疫力が落ちたら悪さをし始めてな。腹壁に膿が溜まるんだ。それをドレーンで抜いたりとかしながらなんとかよくなってきたとおもったら、おれの女はいなくなった。いまはひとりだな。息子には別れて一年後くらいに一度だけ会いに行った。無性に会いたくなったんだよな。おれの女に黙って宮城まで行った。前の女房は子どもの顔だけは見せてくれた。でもおれはすぐに東京に戻ったよ。おれの女はおれが戻ってくるとは思わなかったと言った。おれがそいつの家を留守にしたのは、この三十年でその一度きりだよ。

 (男はグラスに口をつける。BGMは90年代のr&b。製氷機のモーターが回り始め、氷が転がる音がする。男よりもひと回り若いバーテンはガラス扉を少し開けて空気を入れ替える。少し冷たい風が店内に入り込む。)

3

 おれの親父はどうしようもないやつで、ガキの頃のおれは意味もなく暴力を振るわれたりしてた。食卓を囲んでると、箸の裏でおでこをいきなり小突くんだ。意味がわからねえし、めちゃくちゃいてえ。でも殴りかかったってかなわねえから我慢してた。でもこいつにはこの先ぜってえ頼らねえって思った。目の前に鈴鹿サーキットがあったから昔はバイクに夢中で、四日市の工場で働きながら自分で組み立てたバイクを乗ったり、車をふかしたりしてた。なんだかんだ言って楽しいときもあったよ。でも、ダメな親の子どもは、やっぱりダメなんだよ。仕事場はころころ変えたし、日雇いで食いつないでるときもあった。あるときなぜだか覚えてねえが弟の子どもたちと親父を、水族館に連れていく約束をしてた。弟は真面目に働いてたから、暇だったおれが狩り出されたんだろうな。そのときに親父が、もっとお前も兄貴らしいとこみせろ、っておれに言ってきた。その一言におれはぶちきれた。お前が一度でもいい親父らしいとこ見せたことあったのかよって思った。はじめてぶん殴ったよ、思いっきりな。親父は吹っ飛んだ。水族館行きはなくなったよ。

 お袋はまだ生きているらしいけど、もう会うことはないよ。おれが四十七の頃、多発性脳梗塞とかいうのを患って手術することになった。その時おれの女はお袋に連絡とったらしい。そしたら手術のあとお袋は駆けつけてきたんだが、病室に十五分しかいなかった。十五分だよ。三重からわざわざ東京まできて、十五分、そんなのありえるか?自分の息子が大変な時にだよ。それ以来お袋とも連絡とってもいないし、向こうからも来やしねえ。いいんだよ、もう。

 子どもに会いたいとも思わねえし、向こうもこっちももう会ったってわかんねえよ。最後に会ったときは三歳だ。もう三十年も経っちまったよ。結局おれも親父と一緒さ。どうしようもないやつだよ。でもおれにとっちゃ血は水みたいなもんなんだ。刺された時にほとんど出ちまったし、輸血で入れ替わっちまったしな。別に家族なんてなんのつながりも感じねえ。それよりも、おれの人生で助けてくれた、救ってくれたやつはみんな他人だ。他人の方がよっぽど信じられるな。

 (店に常連と思われる新たな客が来てバーテンと話し始める。店内は別の話題に変わり、男は黙る。音楽はゼロ年代のR&B。男はグラスの酒を飲み干し、新しい煙草に火をつける。バーテンが空になったグラスを片付け、オーダーを促す。)

 ああ、もうこれでやめとくよ。数値はよくなってるから、まあ飲んでもいいんだけどな。あんまり飲むと、逆に帰りたくなくなっちまう。大丈夫、金はちゃんと払うし、もう自暴自棄にはならねえよ。さみしいけどな。そんなもんだよ。うん、また来るよ。じゃあごちそうさん、ありがとう。

 (吸いかけの煙草を灰皿に置き、男は出ていく。煙草は燃え尽きる前に灰皿ごとバーテンが片付け、閉まりきっていないガラス扉を静かに閉めた。)

写真 /朝岡 英輔

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