「もやもやの午」其の七『名古屋の女(ひと)』5
2018.01.19
イトウ ユタカ:音楽製作業と並行して近年、著述業を開始。2015-16年、雑誌SWITCHにて 音楽家・小島ケイタニーラブ、写真家・朝岡英輔とともに記事を連載。小島と作家・温又柔 のユニットpontoに雑談/音響として参加中。雑談が好きなので、雑談家という肩書きをつ くってみました。雑談しましょう。
「私は始めてもう2年くらいなんだけど、いまはフォロワーも増えたし、名古屋支部の副マネージャーも任されるくらいになってきたんだよね。このビジネスの画期的なところは、なんといってもシステム。私みたいな人間が出勤前の数時間パソコンいじって働くだけで、数万円の売り上げになるし、しかもそれだけじゃなくてアフリカの恵まれない子供たちにわたしが儲かった分と同じ金額が寄付される仕組みになっててね、(パンフレットをめくりながら)ほら、やっぱり豊かな国に生まれた人間としては、責任があると思うんだよね。だから微力ながらっていうか、少しでも貢献できればうれしいし、少しでも多くに人々にこの活動を知ってもらいたいし、関わってもらおうと思ってる。商品のクオリティーは本当に高いし、最初の方はやっぱりどうしても損しちゃうと思うんだけど、人生って何事も最初からうまくいくわけじゃないし。まずはボランティア、みたいな気持ちでやっていければ、いつかは結果が付いてくるし、自分の近しい友達とかにも、貧しい人たちを救えるチャンスを与えられるっていうのが、自分のmotivationにもなるし。でもずっと続けていければ自分の稼ぎもどんどんあがっていくしね。日本の統括支部長さんなんかフェラーリ5台も持ってるんだってさ、すごいよね!東京と大阪と名古屋と福岡とソウルに支部があるんだ。そうそう、さっきまでいたあの店はこのネットワークが経営してるのよ。やっぱり市販品とは違うqualityの高さがあるのよね。顔写真の外人さんはスティーブさんっていってアメリカ人なんだけど、このビジネスのpioneerなの。最初はテキサスの南部のトレーラーハウスの仲間ではじめたらしいのよ。それが今やworld wideに展開してる。スティーブさんに一度だけ日本に来た時に会ったことあるけど、あんなオーラのひとははじめてだった。バイブスに圧倒されちゃって、本人と握手した時はおもわず泣いちゃったの。もう感謝しかない。感謝。ほら、壁みてよ。」
指差した先には「Thank you かんしゃ」と脇に添えられた誰かのサインの描かれた色紙が金色の額縁に入れられて飾られている。
「これは副エリアマネージャーになったときにスティーブさんが書いて送ってくれたのよ。」
A子はテーブルに身を乗り出し、パンフレットをめくる。腕を寄せているので胸の谷間がよりくっきりしている。
「最初は自分である程度まとまった商品を仕入れてもらって自分の近しいひとに商品を買ってもらうことからはじめてもらうことになるけど、自分の抱えるフォロワーが増えていけばすぐ取り返せるし。ここの最後に登録用紙が入ってるから、必要事項を記入してくれればすぐに私のフォロワーになれるよ。印鑑は持ってないよね?大丈夫、母印もらえればいいから。あ、朱肉必要だ。えっと、ど〜こかな。」
「ちょっと待って・・・」
「ン?」
「わけわかんないよ。」
「え?ああ、ごめん。私の説明わかりにくいところあったかな?気になるところがあればなんでも説明してね。」
「や、そういうことじゃなくて。」
「ン?」
「これさ、あれだよね。」
「あれって?」
「いや、だから・・・あれでしょ?」
「・・・ああ、マルチって言いたいの?」
「そ、そう。」
「あー、そういう捉え方しちゃうんだ。いや、でもわかるよ。しょうがないよね。でも、普通のマルチと大きく違うところはさ、基本的に、自分の為にやるビジネスじゃなくて、ボランティア活動の延長にちょっとお小遣いをもらえるってゆうかね。だから、ただ商品を売ったり買ったりというだけではできないことがこのビジネスではできることが大きな特徴で、やっぱりアフリカの貧困にあえいでいる子供たちを救う為のお金が・・・。」
「いやいや、ちょっと!」
「ン?」
「だからさ、結局マルチでしょ?」
「・・・」
「マルチとか、まじ、ないからさ。」
「やっぱり、説明がうまくつたわってないなあ。アフリカの子供たち、かわいそうだと思わない?」
「いや、それは思うけどさ、それとこれとは話が別でしょ。」
A子は組んでいた足を組み替えた。
「そう、別。だと思われてたものを組み合わせて新しいビジネスに昇華したのがスティーブさんで、そこが本当に画期的な」
「いや、だから!それがマルチじゃ、だめじゃないか!」
「ン?」
A子は顎を少ししゃくらせ、目を見開いた笑みを浮かべた表情のまま固まっている。
「どんな理由があったにせよ、マルチはだめでしょ!法律でも禁止されてるし。」
彼女の顔から、表情が消えた。しかし消えた表情をみるのはこれで最初ではないことに気がついた。
「・・・ワインも美味しい、っていってたよね。あそこの料理も全部美味しいって。あれ、嘘なの?食べ物も飲み物も、全部このビジネスの商品だよ?」
「いや、確かにそれは美味しかったけどさ。」
「じゃあ友達に、自分の気に入った商品を紹介するの、なにがいけないの?」
「いや、別に悪いことじゃないけど。」
「今日出したものとかすごい喜んでくれたから、絶対このビジネスに合うなーと思ってこうやって紹介してるんだよ?別に誰でも誘ってるわけじゃないよ。」
「や、でもさ、マルチなんでしょ?」
「だから!」
バン、とテーブルを叩いて彼女は声を荒げた。
「アフリカの子供たちを救えて、美味しいものも食べれて、それを友達に勧めて、お金も稼げることのなにが問題なのよ!あなたはこの写真をみて心が痛まないわけ?豊かで、なんでもある自分に疑問を持ったことはないの?」
A子はパンフレットを乱暴に開き、飢餓状況の写真を並べたページを眼前に押し付けた。
しばらく沈黙が続いた。その時ふと高校生のときに選択科目でとっていた世界史Bの授業で教師が口を酸っぱくして言っていた話を思い出した。その話をそのままA子にぶつけてみよう。彼女からパンフレットを取り、載っていたアフリカ大陸の地図を指差して言った。
「この地図ってどこか変なところあるのわかる?」
「・・・ン?」
「アフリカって多くの国で、国境線がまっすぐに引かれてるんだよね。世界中のどこを探してもこんなまっすぐな国境線はアフリカ以外にはないんだよ。」
「・・・なにが言いたいの?」
「これは植民地支配の産物。要するにこの国を植民地にして支配してた欧米諸国が、そこに住む民族的・歴史的な背景を無視して国境線を決めちゃったわけ。植民地時代もむちゃくちゃやってたけど、その時代が過ぎてからも、こういう線引きしちゃったからアフリカは争いが絶えなくて、国同士の戦いや内戦がいまでもずっと続いてるんだよ。それで、大量の難民や飢餓に苦しむ子供たちが出てきてしまった。なんでこうなったか分かる?」
「・・・」
A子は下を向いているが、かまわず続ける。
「すべて欧米の責任で、彼らの植民地政策に端を発してるんだよ。もちろんアフリカの人々には同情はするけどさ、罪悪感を持って取り組まなきゃいけないのは欧米のひとたちでしょ。自分たちが撒いた種なんだからさ。ねえ、聞いてる?」
彼女は相変わらず下を向いて、携帯電話をいじっている。少し微笑んでいるようにも見える。
「ねえ、見て。」
彼女はそう言って自分の携帯電話の画面を見せてきた。そこには大学の大教室の壇上のようなところに立つ身長の大きなスーツ姿の白人と、その腕に絡まるようにして笑顔を見せるA子の姿があった。
「これ、スティーブさん。ね?すご〜いオーラでしょ?」
なにを言っても無駄なのだ、ということがはっきりしたようだ。
「いや、もう無理、だいぶ間違ってるよ。なんなのこいつ。」
我慢できずに思わず口から出てしまった。A子はまた表情を無くし、低い声で言った。
「スティーブさんは、素晴らしい人だよ。スティーブさんは、素晴らしい人。」
A子はゆっくりと立ち上がった。
「じゃあさ、あなたは一体なんなの?急に遊ぼうとか連絡してきて、お酒飲んでる間も私の胸とか足ばっかり見てるし、ばれてないと思ってる?あなたの目、やばいから。やりたいだけなんでしょ?欲望丸出しでさ、話すこともホントつまんないし。あなたに私の人生とか、大切な人にとやかく言える権利あるわけ?いい加減にしなよ。自分が絶対正しいと思ってるわけ?つまんないバンドでつまんないギター弾いてるだけの人間でしょ?スティーブさんは最高だから!素晴らしい人なのよ!」
その時、奥の部屋のガラス窓がガタっと鳴った。うっすら人影のようなものが見える。気づかなかったが奥の部屋にはずっと誰かがいたのだ。こちらの様子を伺うため息を潜めていたのかもしれない。A子は早口で、呟くように言った。
「今晩はもう帰れないからね。」
背中がぞくりとした。とっさにテーブルを両手でA子の方に押し込み、ワイングラスは床に落ちて割れた。玄関のすぐそばに置いてあった鞄を掴み、靴は履かずに手で掬い上げてドアを蹴るように開けた。待て、という男の声が背中に聞こえたが振り返らずに一心不乱に階段を降りた。外はすでに宵闇を迎えひっそりとしていて、緑がかった街灯が人気のない道をうっすらと照らしている。どちらに進めばいいかもわからないが、住宅街をひたすらジグザクと走った。その途中で見つけた公園の入り口で靴を履いていると、先ほど行ったカフェの店長が長髪を揺らしながらこちらに向かってくるのが遠くに見えた。慌てて街灯のあたらない木陰に身を隠しやり過ごす。靴を履き終えて道路に出ると、あそこよ〜、という声とともに今度はカフェのカウンターにいたボブヘアーの女性が五人ほどでこちらを指差しながら髪を降り乱して向かってくる。公園の広場を横切って再び走り始めた。
捕まったらどうなるかわからない。とにかく、逃げるしかない。住宅を通り過ぎるたび、ヒュンヒュンという音が耳を横切る。均一に配置された街灯やすれ違う車のフロントライトが伸びて揺れる。どこにでもあるような住宅街、画一的な空間が迷路のように感じる。先が見えない。ただひたすら走る。するとだんだん走っている意味がわからなくなってきた。なにから逃げているのかもわからない。そもそも見知らぬ土地で自分はなにをしているのだろう。外の音は聞こえなくなり、自らの発する苦しげな吐息だけが体内にがすがすと歪んで響いていく。いったいどうなってるんだ、なんなんだ名古屋。
どれぐらい走ったか、わからない。住宅街を駆け抜け新幹線が走り抜ける高架下をくぐり、気づけば人通りの少ない商店街に出ていた。空いているのは居酒屋くらいで、ほとんどの店はシャッターが閉まっている。その奥にさほど大きくはないホテルのネオンがぽつぽつと立ち並んで見えた。追っ手はうまく撒いたと思うのだが、確証はない。走り疲れて気が遠くなりそうな視線の先に”GUEST HOUSE RAINBOW’’の看板があった。看板は見つけたそばからすぐに明かりが落ちたが、扉はまだ開いていたので滑り込むように中に入った。扉に取り付けられたカウベルの音がカラカラと鳴った。
つづく
写真 /朝岡 英輔