Top > Column一覧 > ポスター展を終えて

ポスター展を終えて

2020.01.12

sunny

SUNNY BOY BOOKS 店主の日々雑記。

2020年、あけてましておめでとうございます。
店主はクリスマスにウイルス性胃腸炎でダウンした子どもの菌にやられ、復活したとおもったら家族で風邪を引きまたダウンということで年越しカウントダウンも夢の中で迎えておりました。休みに慣れていないのでリズムが崩れると体調もおかしくなるのはどうにかならないかな、とおもっています。とはいえ、年始のオープンにはなんとか復活して無事にお店を開けられました。
本年も一冊でも多く本を紹介できるよう、サニーらしく(いつも通り)ふらっとな気持ちでお店をあけていけたらとおもっています◎

2019年を振り返ってみると(とくに下半期)やはり「想像からはじめるーSolidarity-連帯-연대ーPOSTER EXHIBITION」の流れに尽きるなーと改めて思っています。
新年早々、力による国同士の分断が進んでいきそうで不穏な空気が流れていて、こんなときだからこそすぐ近くの、または遠い所にいる誰かのことをおもい合う個人の連帯の大切さを感じています。

そもそも何故ポスター展をやることになったか、その経緯についてはB&Bでのトークなどでも話してきましたが以下に改めて。
当初この企画展をやる期間は友人である韓国のイラストレーターの展示を開催する予定でした。8月には宿泊先や飛行機の便も決めなくてはと言っていた矢先に日韓関係がどんどん悪くなり、作家とやりとりするなかで流れてくる報道以上にいま日本で展示をする空気ではないことがわかりました。せっかくやるならどちらの国からも「いいね」と言ってもらえる環境でやりましょうと、延期を決断しました。(まだ具体的な日程は決まっていません)
今となっては途切れることなく展示をしているサニーの壁ですが、この時はぽっかり空いたスケジュールまで1ヶ月半。誰かに頼むにしても時間がなさ過ぎて「たまには何もなしというのもいいかー」と開き直りかけていました。そんなとき、韓国の作家を紹介する記事でお世話になった編集者の岡あゆみさんから「もしものときは声かけてくださいね」と言っていただいた言葉を思い出し、連絡をとりました。そこから気づいたら(怒濤過ぎて端折ります)イラストレーターでデザイナーの惣田紗希さんと同じくデザイナーの山田和寛さんも企画から関わってくださることになり、総勢21名のイラストレーター、デザイナー、小説家、ミュージシャンなど様々なジャンルの表現者たちが集まってくれました。

物事をはっきりと言葉で発言しないといけない(ような)空気に、もやもやしている現状のままでも考えていくことを肯定できたら、ひとりでは何もできないかもしれないけれどわたしたちはひとりではない、そんな思いをポスターにこめていただきました。また複製であるポスターの特長を最大限に活かし、同時開催で京都、大阪、群馬、茨城、静岡、福岡に巡回できたことで、それぞれの地でみた方に作品を通して個人の連帯について考えてもらえたのではないかなと思っています。(参加してくれた作家さん、お立ち寄りいただいたみなさま、巡回いただいたお店のみなさま本当に本当にありがとうございました。)

想像することは独りよがりです。よかれと思っても間違っているかもしれない、でも思いをめぐらせなければ、想像という手を差し出さなければ決して交わることはありません。本を読むこともまた時間をかけて想像を広げる行為です。SNSなど情報が行き交う速度が速まる中で立ち止まって、まずは誰かを思う事からはじまることがある。そんな連帯ポスター展をいつものサニーの壁で、普段展示してくれている作家さんたちを紹介する気持ちと同じままで、いつも通り日々お店をあけしめしているスタンスでできたことが個人的にはとても嬉しいことでした。(そう、なんだって日常から)

とはいえ、本展でなにかが大きく変わったわけではないと思います。最初から変えられると思っていたわけでもありません。でも小さいですが、たしかな一歩を踏み出せたかなと感じています。

作家たちの素晴らしいポスターがどこかの誰かの部屋に飾られているとおもうと勇気が涌き出てきます。
わたしたちが生きている社会がすこしでも良い方向に変わっていくために、これからも個人の連帯が広がっていけばと願います。
そのためにまたコツコツ毎日を生きていきます。お店をあけていきます。その先でまたできることをやっていきます。

そんな感じで今年もよろしくお願いいたします。

SUNNY BOY BOOKS 高橋

IMG-6816

↓↓↓  付録  ↓↓↓

本屋B&Bでの巡回では企画の岡、惣田、山田、高橋とスタッフがテーマに沿った選書フェアも開催していました。
以下は企画4人がおススメした5冊です。小さな連帯を、想像することを肯定するタイトル。
興味がありましたらぜひ◎

*B&Bスタッフの選書も追加しました*

 

<選>岡あゆみ

『民主主義は誰のもの?』
作=プランテルグループ / 絵=マルタ・ピニャ / 訳=宇野和美(あかね書房)

1977年刊行の原書が2015年Media Vaca(スペイン)から復刊され、2019年待望の邦訳。40年を経てこの問いが未だ必要であることは悩ましいけれど、子どもも大人も一緒に考え続けていくに持ってこいの1冊。同シリーズ『女と男のちがいって?』『独裁政治とは?』『社会格差はどこから?』もあわせてぜひ。

『あおくんときいろちゃん』
作=レオ・レオーニ / 訳=藤田圭雄(至光社)

ユダヤの裕福な家庭に生まれ育った氏は、オランダ、ベルギー、イタリアと移り住んだ後、人種差別法公布に際しアメリカへ亡命。そんな背景からか彼のデザイン、絵画、絵本、すべての根源に「芸術家は世の中をよい方向に導く者」だという強い信念がある。誰もが知る『あおくんときいろちゃん』『スイミー』もそのひとつ。

『ジョナス・メカス詩集』
著=ジョナス・メカス / 訳=村田郁夫、木下哲夫、鈴木志郎康、吉増剛造(書肆山田)

「美しい瞬間は感動を与え、人の心を動かす」。映像作家・詩人ジョナス・メカスは終生にわたって“楽園のかけら”を撮り続けた。それは生まれ育った国を離れ、見知らぬ土地で生きるほかなかった自身の人生が色濃く反映されたものだろう。アメリカにおいて故国の言葉で綴り続けた詩にも、その思想は脈々と流れている。

『南インド キッチンの旅』 著=齋藤名穂(ブルーシープ)
「キッチンは、旅でたどり着ける一番遠い場所」。建築家・デザイナーである作者の言葉通り、異国の地で暮らす人々の生活に一歩踏み込み、知ることはとても難しい。南インドのキッチンを巡り、その持ち主と対話し出来たこの1冊は、“分からないこと、知らないこと”に誠実に向き合い、想像することを教えてくれる。

『香港風味 懐かしの西多士』 著=野村麻里(平凡社)
かつて香港に暮らした作者の体験を通して垣間見る、食文化、人々の暮らし、歴史背景……。愛情をもって綴られたひとつひとつのエピソードは、香港とそこに暮らす人々をぐっと身近に感じさせてくれる。実は、香港の漫画家・イラストレーターLittle Thunderの作品集『SISTERHOOD』も野村さんの愛の結実。

 

<選>惣田紗希

『知りたくなる韓国』 著=新城道彦、浅羽祐樹、金香男、春木育美(有斐閣)
韓国のことをインターネットで調べようとすると、知りたいことよりも先に悪意あるノイズが目に飛び込んでくることが多く、すぐにブラウザを閉じてしまう。音楽や本、映画などを通して韓国の文化に触れることが増えてきたけれど、それらの文化の根底にある歴史や社会はどう成り立っているのか。隣の国のことを純粋に知りたい人へ。

『台湾物語ー「麗しの島」の過去・現在・未来』 著=新井 一二三(筑摩書房)
旅行や食、最近では映画など文化面でも多くの日本人が親しみをもつ台湾。それらをカジュアルに享受している私たちは「親日」という言葉に甘えてしまっているような気もする。台湾の人たちは台湾と日本の歴史を踏まえて親しみをもってくれているけれど、日本人は、台湾のこと、そこでの日本の関わりをどれだけ知っているだろうか。歴史、土地、言語、建築、文化、宗教、政治など、台湾をより親しむために知っておきたいこと。

『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』
著=イ・ミンギョン/訳=すんみ、小山内園子(タバブックス)

日頃から女性を憎んでいたという男性に無作為に選ばれた女性が殺害された、ソウルの江南駅殺人事件をきっかけに書かれた本の日本版。韓国の多くの女性たちが「自分が被害者になり得た」と恐怖と不安を共有し、メッセージはポストイットで可視化され、声をあげ、連帯し、沈黙しなくなった。自分を守るために声をあげる、その方法を指南してくれる本。ただし、あなたを尊重してくれない人に、必ずしも親切に、あなたの神経や気持ちをすり減らしてまでも、話す必要はないというアドバイスも新たな気づきを与えてくる。本家韓国では驚異の41刷。

『子どもの人権をまもるために』 著=木村草太(晶文社)
今、大人として生きている自分には関係ないと思って、知らないまま、流されるままにしている社会のことは、今、子どもとして生きている人たちの将来に大きな影響を与えてしまうのではないだろうか。子どもが被害者となった痛ましい事件も記憶に新しいなか、社会の根底にある、子どもの権利に目を向けるために知りたいこと。
弁護士の南和行さんによる『LGBTー多様な性を誰も教えてくれない』に書かれていることは、子どもの時に知りたかった。

『金の国 水の国』 著=岩本ナオ(小学館)
隣り合う仲の悪い国の間に引かれた線、それを飛び越えてきた人を信頼することの偉大さ。お互いのことを知り、相手に無くて自分にあるものを持ち寄れば未来がひらける。相手を陥れようとするだけの国のお偉いさん方全員読んでほしい。

 

<選>山田和寛

『民藝四十年』 著=柳宗悦(岩波文庫)
稀代の民藝運動家のエッセイの集成。本書が刊行されたのは1984年のことだが、各章は1920〜1958年の間に発表されたもの。特に1920年の「朝鮮の友に贈る書」は日本統治下の朝鮮に起こった独立運動の鎮圧によって多くの人命が失われた事件を機に、朝鮮の人々に寄り添う形で発表された。未来の日本人はきっと変わるはずという願いが込められているが…100年が経とうという今、なんですか、この体たらくは…?

『幼年期の終わり』 著=アーサー C クラーク / 訳=福島 正実(早川書房)
東京創元新社版の邦題は「地球幼年期の終わり」であったが、ハヤカワ・SF・シリーズ版では『幼年期の終わり』となっている。個人的には『地球』と付いていない方が含みがあって良いタイトルだと思う。人智の及ばない存在(オーバーロード)に支配され、やがて人類はひとつの集合意識として「幼年期」を終えて進化していく。オーバーロードの支配はまるで植民地経営と同じようなものだ。外圧でしかひとつにまとまれなかった地球人の姿に、我々もまだ「幼年期」にあるのだと思わされる。

『人種と歴史』 著=クロード・レヴィ゠ストロース /  訳=荒川幾男(みすず書房)
ユネスコが1952年に刊行した小冊子シリーズのうちの一冊として書かれた著者の初期の論文。当時の西洋文明がその他の文化圏を優越性を持って捉えていたことが透けて見えるが、現在ではかなり意識が変わっている(だろう)な、ということは海外の友人たちを見ているとわかるものだ。翻って現代を生きる我々は異文化をどう見ているだろうか。「いかなる文化も単独ではない。それは、つねに他の文化との提携のうちにあった。」「寛容とは、(中略)ダイナミックな態度であり、あるべきものを予見し、理解し、促進することなのである。」という言葉は胸に刻みたい。

『日本国民のための愛国の教科書』 著=将基面 貴巳(百万年書房)
「愛国」と日本語で書く時、本来の意味の土地やそこに暮らす人々への愛着や普通善を追求する「パトリオティズム」よりも、さらなる力や権威を求めて自己を集団に同一させた民族主義、すなわち「ナショナリズム」の香りが漂う昨今の本邦。どちらが普通の日本人としての振る舞いとしてふさわしいかは明らかである。ポジションの左右を問わず、誰にでもわかりやすく「愛国」について教えてくれる入門の書。

『山の神々:伝承と神話の道をたどる』 著=坂本大三郎(AFブックス)
山伏である著者が日本各地の山にまつわる神話や伝承を集め、比較することで源流を読み解く。中国大陸や朝鮮半島、南洋、北方からやってきた文化が吹き溜まりとなって日本の山間部には残っていると著者は言う。そういったアジアの諸文化の末裔としての自覚は人生の指針ともなりうる。そして逼迫した状況にある地球環境、排他的言説がタコ壷のなかで増幅する現代社会において、前代の人生観に思いを馳せ、知ることで我々の取るべき態度が見えてくる。

 

<選>高橋和也

『残響』 著=保坂和志(中公文庫)
誰かのことを思い、想像することで小説は動きだす。
強くない繋がりのなかだからか、読み手もすっと作品世界にはいれるし、
小さな光を届けることができるのだろうと思います。

『灯台守の話』 著=ジャネット・ウインターソン / 訳=岸本佐知子(白水Uブックス)
現実世界から遠いどこかのお話が混ざりあう奇想天外な想像力と鋭い観察力を持ってして、
ウィンターソンは物語を語れと静かに励ます。そこにひとの心を動かす力があるのだと教えてくれます。

『彼岸の図書館』 著=青木真兵・海青子(夕書房)
生活を立て直すために奈良に移住し自宅を図書館にした夫婦の記録。
経済成長を選ぶのか、共存の社会へとむかうのか、はざまの時代にあって身体感覚を取り戻すこの実験の意味は大きいです。

『どうして、もっと怒らないの?』 著=荒井裕樹(現代書館)
「障害者とともに生きるとはどういうことか」を真っ正面から社会に問い、闘ってきた障害者運動。
「生きづらさ」に怒ってきた障害者の方たちから、いまの理不尽で不寛容な社会に抗うコツを学びます。

『郝景芳短編集』 著=郝景芳 / 訳=及川茜(白水社)
いまの中国のなかで物語を描くこと、とくにSFとして語ることの可能性を感じる一冊。
分断が進む現代社会に対して想像する力が確かな声を上げています。

///B&Bスタッフの選書も追加しました///

<選>西山友美/本屋B&B

『忘れられた日本人』 著=宮本常一 (岩波文庫)
宮本常一が西日本を中心に聞き取りをした無名の民衆の人生語り。農民や馬喰など各編に登場する人物は、宮本が聞き書きをしなければ、決して知られることのない人ばかり。名はなくとも、光が当たらなくとも、喜怒哀楽があり、その人にしかない濃密な人生がある、と感じさせる、語り手の呼吸が伝わるような宮沢常一の文章が素晴らしい。名もなき人に、光を。

<選>小林英治/本屋B&B・イベント企画

『大いなる夢よ、光よ』 著=津島祐子(人文書院)
ハン・ガン、ファン・ジョンウン、チョ・ナムジュ、キム・エラン、チェ・ウニョン…。韓国から届けられる現代の女性たちの小説を読むと、いつも津島祐子のことが思い浮かぶ。悲しみを抱えつつ、夢を見つづけること。

<選>寺島さやか/本屋B&B

『リンドグレーンと少女サラ』
著=アストリッド・リンドグレーン、サラ・シュワルト / 訳=石井登志子(岩波書店)

13歳の少女が21年にわたって、時に頻繁に、時には数年おきに交わした、作家リンドグレーンとの書簡。
少女の手紙には暴力や貧困など苦しい状況が見え隠れし、やがてはある信仰に目覚めていく。
リンドグレーンは迷走しているようにも見える彼女に、年の差を超えて、時には心のうちを明かしながら対等に接するが、あるとき、作家と読者という関係の一線を超えて、手を差し伸べる場面がある。
ふたりの長きにわたるつながりのかたちに、教えられるものがあった。

<選>鈴木拓実/本屋B&B

『わかりあえないことから』 著=平田オリザ(講談社新書)
他者との距離を埋めるために言葉がある。だとしたらどのように言葉を使えば他者と対話ができるのか?
劇作家・平田オリザが人々のコミュニケーションを観察し、自身の演劇に向き合う中で導き出した、対話のためのあたらしい言葉の使い方。

『演技と演出』平田オリザ(講談社新書)
演技と演出のプロである劇作家・平田オリザが書き記した、
一番身近な演劇How to論。
演じることは訓練を積んだ俳優だけに許される特別なことではなく、全ての人にとって他者のありようを想像する出発点となる。そして演じるという営みは自分自身のありようをも変えてしまうのだ。

<選>内沼晋太郎/本屋B&B

『「差別はいけない」とみんないうけれど。』 著=綿野恵太(平凡社)
差別を想像できるか?少なくとも自分には想像しきれないのだとわからせてくれた、そして、それでも諦めない私たちの姿勢のことも教えてくれた一冊。

<選>桜木彩佳/イベント企画

『銀河で一番静かな革命』 著=マヒトゥ・ザ・ピーポー(幻冬舎)
ロックバンドGEZANのフロントマンである、マヒトゥ・ザ・ピーポーによる初小説。太刀打ちできないような大きな不安が押し寄せて、身近な人や場所に想いを馳せる瞬間のこと。何かが確実に終わると分かった後の、具体的な祈りやハグ。感覚を信じて、想像力で次のリズムに飛び込んだ時にだけ見える、いつもより高くて澄んだ景色。それらが現実の地続きにちゃんと在る、と思える1冊です。

<選>松村孝宏/本屋B&B

『どんなかんじかなあ』 著=中山千夏・和田誠(自由国民社)
自分とは異なる環世界を生きることに想像をめぐらせる。自身の眼前にひろがる世界の編み目をほどき、互いの想像力とともにあらたに編みあげることで見えてくる世界から、生きる希望がじんわりと感じられるような一冊です。‬

<選>みきこうへい/本屋B&B

『虫ぎらいはなおるかな』 著=金井真紀(理論社)
〈わたしは好きだ、好きではない〉。そんなことは、誰にとっても何の重要性もない。そんなことは、一見して無意味だ。とはいえ、それらすべては〈わたしの身体はあなたの身体と同じではない〉ということを意味している。(中略)ここで身体による威嚇がはじまり、自分を〈寛大に〉受け入れてくれほしい、 共感できない悦楽や拒絶には沈黙して礼儀正しくしてほしい、と他者に強いるのである。(『ロラン・バルトによるロラン・バルト』p.171)

『偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性』
著=リチャード ローティ / 訳=齋藤 純一、山岡 龍一、大川 正彦(岩波書店)

連帯とは、伝統的な差異 (種族、宗教、人種、習慣、その他の違い)を、苦痛や辱めという点での類似性と比較するならばさほど重要ではないとしだいに考えてゆく能力、私たちとはかなり違った人びとを「われわれ」の範囲のなかに包含されるものと考えてゆく能力である。(中略) すなわち、哲学的あるいは宗教的な論考よりも、(たとえば小説やエスノグラフィによって)さまざまな苦痛や辱めをそれぞれの細部に立ち入って描くことの方が、道徳的な進歩のために近代の知識人が果たしてきた主な貢献である、と。(『偶然性・アイロニー・連帯―リベラル・ユートピアの可能性』p.401)

↑ページトップへ