おとなとZine おとなのZine 第1回
2014.09.02
DIRTY。ジンスタ。Q.H.Z.C.の一員として静岡県三島市で月に1度のジンの集まりOur Table for zine sharingを開催し、Deeper Beneath the Skinという月刊ジンを発行中。西山敦子という名前で書籍や映画字幕の翻訳も手がけている。 2014年11月にSBBで行われた展示フェアから始まった“おとなのジン”を探るプロジェクトをこちらで公開中。
おとなはどんなZine(ジン)を作ればいいの?
好きなようにすればいいじゃない? あなたは言うでしょう、誰にも頼まれず制約も受けず、自由に書きたいように書くのがジンというものでしょ。
なんと正しい意見! こうして書きながらでさえ「そう、その通り」とうなずいています。けれどこのところ、気づけばこの問いに悩まされているのです。
これより先に進む前に、ジンについて少しだけ。
今やいろいろなところで見かけるようになりましたが、「何をジンと呼ぶか」は人や場所によってかなり違っています。ここではまず「自分より大きな力に頼ることも縛られることもなく、自主的に作られた出版物」と定義したいと思います。いえ、「まず」もなにも、それだけ言ってしまえば付け足すことは特にありません。フォーマットも内容も、印刷や流通の方法も本当にさまざまなのです。つまりわたしの希望を込めた解釈によれば、何をもってジンとするかはかなりのところ作り手の姿勢の問題。ただ当たり前に自分(たち)でやる、DIY(Do It Yourself)のスピリットで作られている、ということです。
そう、だからもちろん「こんなジンを作ればいい」なんて答えはないはずなのに、気づけば途方に暮れている自分がいます。昨年はできあがったジンを、ほとんど流通させずに終わってしまいました。8年くらい作ってきて、初めての感覚です。絶望的といってもいいくらい。ジンを通してのコミュニケーションはわたしにとって切実に必要なものです。3年ほど前に引っ越しをして友だちの多くは遠くに住んでいて、小さな子どもがいるのでぶらっと出かけることもできず、ジンはまさに「疎外の海における、小さなゼロックス製のふるさとの島」なのです*1。いくつかのママ・ジンの作者アリエル・ゴアのそんな言葉がとても身にしみます。
そこで思いつきました。ほかのおとなのジンスタ(=zinesterジンを作る人のことです)たちに「あなたの場合は?」と聞いてみよう。それが、このプロジェクトの始まりです。そうしながらわたしも、自分なりにおとなのジンスタとしてのあり方を探ってみたいと思っています。ただ途方に暮れてるだけなんてもうまっぴらですから。
けれどああ、そんな極めて個人的な悩みの解決をたくさんの人の目に触れる場所(Sunny Boy Booksのファンがどれだけいることか、想像するだけで目が回ります)で展開していくことに、多少の、いいえかなりの不安と後ろめたさを感じないわけではありません。あなたはただ「興味なし」と言うかもしれないのですから。
それでも結局のところ、わたしの作るジンはいつも多かれ少なかれ個人的なもの(パーソナル・ジンと呼ばれます)ですし、このプロジェクトのなかでいう「ジン」とは基本的にはそういうものを指しています。個人的なことを書くと、それを読んだ人が今度は自分の個人的なことを考えたり、語り始めたりするということは経験上わかっているのです。これまでジンを読んでくれた人から、そんなふうな手紙や、その人たち自身が作ったジンがたくさん届きました。パーソナル・ジンを作っていていちばん嬉しく、うまくいったと思うのは、そうやってコミュニケーションが成立したときです。
このコラムの第2回目からは、わたしの個人的な問いかけに対して何人かのジンスタがそれぞれ個人的な観点から答えてくれるはずです。これを読んでいるあなたが、「おとながジンを作る」こと、または「ジンを作る」こと、さもなければ「おとなになる」ことについて、たとえ少しでも自分と関係あることのように思ってくれたならば、このプロジェクトもひとまずうまくいった、ということになるでしょう。それを祈るばかりです。
さて今回は第1回目ですから、このプロジェクトを始めるに至ったわたしの戸惑いの正体をもう少し探ってみましょう。
作家のジョーン・ディディオンは「ノートをとることについて」というエッセイのなかで、こんなふうに述べています。
「ひどく若い者とひどく歳をとった者だけが、朝食の席でじぶんの夢を語れるのだ。じぶんのなかにどっぷり浸って、海辺のピクニックやお気に入りのリバティのローン・ドレスやコロラド・スプリングスで釣った虹鱒の思い出を気ままに話せるのだ。そういう者ではないわたしたちは、他人のお気に入りのドレスや他人の鱒の話を、夢中できくふりをしなければならない」*2
わたしの言う「おとな」とは単純に、この「ひどく若い者」と「ひどく歳をとった者」の間にいる人たちを指します。わたしはもちろんそこにいます。そして、「じぶんのなかにどっぷりと浸る」タイプのパーソナル・ジンをなんの迷いもなく作ることができるのは「ひどく若い者」(「ひどく歳をとったジンスタ」はいたら最高ですがまだ会ったことがありません)の特権だと感じています。もはや若者ではなくなったと感じている自分と、若者と深く結びついているジンというもの、その間のギャップがわたしの抱えている問題なのです。
それでは、わたしが慣れ親しみ影響を受けてきた「ひどく若い者」たちの手によるジンとは具体的にどんなものでしょうか。
わたしがジンを作り始める直接的な原因となったのは、90年代の北米を中心とした英語圏のジン・カルチャーを知ったことです。特に、パンク・シーンにおけるフェミニズム、ライオットガール・ムーブメントのなかから出てきた、女の子たちの手による一人称のパーソナル・ジンこそが、今でも変わらず自分にとっては「これぞジン」というジャンルです。
そういうジンに共通する特徴をひとことで表すならば、「クライ・イン・パブリック(CRY IN PUBLIC)」でしょう。ライオットガールの先導者とされているバンド、ビキニキルが掲げた有名なスローガンのひとつで、公の場で叫ぶ/泣く、つまり内面に秘めた怒りや弱さを臆することなく表現することを意味します。
ライオットガール・ムーブメントの意義のひとつは、歴史上はじめて、たくさんの女の子たちが考えたり、思ったりしていることを女の子自身の口から公に語ったことだと言われています。それ以前は、例外的なものをのぞいて(たとえばアンネ・フランクのような重大な歴史的出来事を象徴するような存在でなければ)、どこにでもいる若い女の子の言葉など、出版ビジネス的にも、文化的価値という意味においても、公にならない/出版されない(アンパブリッシャブル)なものとされてきました。
しかしたとえ出版価値のないものだったとしても、女の子たちには言いたいことがたくさん、たくさんあったのです。その根底には女の子であることの生きづらさ、不自由さや不平等への怒りが燃え上がっていました。ただし大急ぎで付け加えたいのは、当時ジンに書かれていたことはそのような怒りの叫びだけでなく、もっと雑多でとりとめのないものだったということです。日々のできごと、友だちの紹介、お気に入りのレコードや本について、実用的なHow toネタなどが、彼女たちの思考の流れるまま、ランダムに切り貼りされていました。伝えたいことの本筋からそれた、無計画な脱線ばかりと受け止められても仕方がないような構成です。
もっともらしい社会運動として、女の子であることの不自由さに抗議し、社会の不正を告発するのであれば、もっとほかの書き方もあったでしょう。もっと一般的に出版・流通可能(パブリッシャブル)な形式、たとえばジャーナリズム風の客観性を重視した文章や研究者然とした論文調で、コラージュや切り貼りのレイアウトではなく、整った読みやすいページに書かれていたほうが、より多くの人にわかりやすく主張が届いていたのかもしれません。公に申し立てをするのに、私的な日記や手紙のような書き方は不適切だと言ってしまえばそれまでです。
けれどもちろん、女の子たちのジンの魅力と力強さはまさにそこにあるのです。整然とした文章になる以前の叫び声、まっとうな議論では無駄なものとして省かれるようなことまでをもランダムにとりこんだスタイル。伝わりやすくわかりやすいフォーマットに合わせるのではなく、未熟で未完成であっても、表現したいという衝動。ライオットガールのジンは、内容も書き方も私的な、まさにディディオンのいう「じぶんのなかにどっぷり浸って」いながらかつ、ごく限られた(ジンの読者という)公に向けて発信されることで大きな効力を持っていました。社会とわたしの中間地帯で揺れ動くそのようなジンのあり方を「クライ・イン・パブリック」という言葉はうまく言い表しています。これこそが、わたしの思うジンです。
そういうジンを読めばいつだって胸は熱くなります。けれど今、自分がそういうスタイルを選ぼうとしてもとうてい上手くはいきません。ランダムさや衝動を忘れたくないとは思いますが、それよりも、わかりやすく伝えること、じーっと同じことを考え、繰り返し書くことが大切だと感じることもあります。まとめに入ろうとしたり、テーマに忠実であろうとしたり、あまり無責任なことを書かないように気をつけたり。「あるがまま」を書こうという気持ちは不思議とだんだん強くなっていますが、その「あるがまま」がきっともう「ひどく若い者」のそれとは違っているでしょう。
ライオットガール・シーンの出身で、今や何をしても話題になるアーティストのミランダ・ジュライは、「おとなの自分」が抱える「おとなの問題」に対して、ライオットガール的なやり方を適用させられなかった体験をユーモラスに書いています。映画の制作費を出すことに乗り気だったスポンサーが不況により次々に出資を断ってきたとき、彼女は体にマジックで何か痛烈なメッセージを書き殴りーー自分への中傷の言葉SLUT(あばずれ)を書いてみせたビキニキル時代のキャサリーン・ハナよろしくーー裸で乗り込んでいく自分の姿を想像します。
「それがわたしの中のライオット・ガール魂に火をつけた。わたしはビバリーヒルズでのお行儀のいい話し合いを終えて会議室を出ながら考えたーー素っ裸で、お腹に黒マジックで完璧なメッセージを書いて、もう一度ここに戻ってきてやろうじゃないの。でも、この理路整然とした、隙のない冷たさに対抗できる完璧なメッセージとはいったい何だろう。わからなかった」*3
これしかない、と思い込んでいたライオットガール的やり方がしっくりいかなくなって、若い頃とはまた別の寄る辺なさに襲われているのはただのジンスタのわたしだって同じことなのです。ジンを作りつづけるおとなのジンスタたちに「あなたの場合は?」と聞いてみたいわたしの気持ちが伝わったでしょうか。
さあこれでようやく、「ひどく若い者」ではないわたしが冷や汗をかきながら「わたし、わたし」と言い続ける第1回はおしまいです。次回からは、おとなのジンスタにおとなのジンについてインタビューするプロジェクトが始まります。どうぞお楽しみに!
*1『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』アリソン・ピープマイヤー著 野中モモ訳、太田出版:211ページ。
*2『ベツレヘムに向け、身を屈めて』に収録。ジョーン・ディディオン著 青山南訳、筑摩書房:151ページ。
*3『It Chooses You』「マイケル Lサイズの黒革ジャケット、10ドル」『新潮』2013年2月号に収録。ミランダ・ジュライ著 岸本佐知子訳、新潮社:183ページ。
(つづく)