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「もやもやの午」  其の一 『ガクダイのみゆき』

2017.01.11

イトウ ユタカ

イトウ ユタカ:音楽製作業と並行して近年、著述業を開始。2015-16年、雑誌SWITCHにて 音楽家・小島ケイタニーラブ、写真家・朝岡英輔とともに記事を連載。小島と作家・温又柔 のユニットpontoに雑談/音響として参加中。雑談が好きなので、雑談家という肩書きをつ くってみました。雑談しましょう。

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 学芸大学(ガクダイ)駅すぐそばの高架下に、A葉というラーメン屋がある。中野の本店は常に行列ができる人気店で、わたしは何度か並んだことがある。ほどよいコシのある中太麺、魚介系と動物系が絶妙に混ざり合ったスープはあっさりすぎずしつこすぎない。わたしのとても好きな味だ。最近は中野に行く機会が減ってしまったのだが、ガクダイにも支店があることを知り、この駅を利用するときにお腹が空いていれば食事の選択肢の一番目に持ってきている。正直に言うと味は本店の方が良い気がするのだが、ガクダイでも食べれるということが重要だ。
 そんな今日もガクダイにいる。馴染みの古本屋のちょっとしたパーティーでのK氏のライブを楽しんだあと、彼と、客で来ていた出版社のF氏とともに店をあとにした。この古本屋と駅の間には、ちょうどA葉がある。寄っていこうかな、というと、じゃあ僕たちも、と乗ってきた。こういう時ってなんとなく嬉しい。
以前に来た時、この店はものすごく扉の隙間風の音がうるさかった。建て付けが悪いのか、ステンレス製の引き戸はしっかりと閉まらぬ。ごおおおおおとやかましい。さらに隙間が狭まれば変化してぴうううううと鳴く。しかし外の風はそれほど強くないのだ。どうなってんだ。高架下にあるこの店の、なんらかの構造上の問題だろうか。そんな無駄なことをかんがえてしまう。実は、本店より味が落ちると感じる理由の一つが、この音でもあった。せっかくのお気に入りの味なのに騒音のせいで食べることに集中できない。残念だなあと来るたびにいつも思っていた。
 そんな過去の経験が頭の片隅によぎりながら、店にたどり着く。恐る恐る引き戸を開け、閉めるが今日は隙間風がしない。改善されたのか風向きのおかげなのかわからないがとにかくよかった。存分に好きな味を楽しめそうだ。

 「イラッサーイマセー」

 L字型のカウンターの内側から女性店員が、平坦なイントネーションの挨拶で私たちを迎え入れた。食券を買って席に座り、落ち着いた時に耳に入ってきたのは、BGMとして流されていたみゆきの歌声だった。

 「むーぎーはーなきー むーぎーはーさきー・・・」

 このときは、小さな違和感だった。今思えばその違和感を、わたしはこれから出てくるラーメンを美味しく食べるために無意識にかき消そうとしていたのだと思う。隣席の先客カップルが食べ終わり、出て行った。

 「アリガトーゴザマシター」
 「つーばめーよー 地上のほしーよー・・・」

 もや・・・。違和感は増すばかりだったが、中華そば(大盛り)が目の前に出てきたので箸をつける。食べればその違和感もきっと消えるさ。さあ、ラーメンに集中だ。しかしひと口めを食べたところで、K氏がつぶやいた。それはささやかだが、決定的な言葉だった。

 「イトウさん、似てますよね。」
 「・・・」
 「似てますよね?」
 「・・・やはりそう思うか。」
 F氏も同意する。
 「僕も気になってました。」
 女性店員の声と、みゆきの声は、あきらかに似ていた。似すぎていた。
 「声、やばいよな。そっくりだよな。」
 「声だけじゃないですよ。」

 箸を動かしつつ不自然にならぬよう視線をラーメンから上に。わたしたち以外に客がいないため、女性店員は所在なさげに外を眺めている。その横顔はあきらかに、みゆきに似ていた。顔の骨格が似ていると、声も似る。そんな話を以前に聞いたことがあった。しかしそんなことはどうでもよかった。わたしの中の違和感はふつふつと、怒りにも似た不可解な感情に変わっていった。別に店員の顔や声がみゆきに似ていてもいいし、店内のBGMがずっとみゆきでもいい。だが、その二つが一緒になってはだめだ。だめだよ。だって、気になっちゃうよ?ラーメンに集中できないよ?大盛りを頼んでしまったことを激しく後悔した。もはや味もよくわからぬ状態でなんとか完食し、急いで上着を着て立ちあがった。

 「まーわるーまーわるーよ時代~はまわる~」
 「アリガトゴザマシター」

 まるでメロディをなぞるような平坦なイントネーションの挨拶はますますみゆき本人の声とリンクし、シンクロする。アナログ・ディレイをかけたように、両者の音が、脳内にこだまする。胡蝶蘭の香りすらする。逃げるように店を出た。
 駅までの道がやけに長く感じた。K氏とF氏は改札を抜けたが、わたしは歩みを止めた。みゆきは悪くない。ラーメンにも罪はない。ただ、自分が気にしすぎているだけなんだ。でも・・・。この気持ちを収めてくれるのは、酒しかない。わたしは改札の向こうで待つ二人をよそに踵を返し、ガクダイの見知らぬ酒場へと震える身を投じる。脳内のシュプレヒコールが鳴り止むまで、終わらない夜会はこうして始まった・・・。

おわり

 

 

 

 

 

写真 /朝岡 英輔

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