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映画酒場、旅に出る 最終回

2014.12.01

映画 酒場

映画をめぐる小さな物語をつづった個人冊子「映画酒場」。その発行人による、2014年7月のパリ滞在記。

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7月24日

いよいよパリ滞在も残りわずか。とにかく食べたいものばかり貪欲に食べている。今日はムール貝を1キロ買い込み、白ワインで蒸す。まだ季節が少し早いのか小ぶりの貝だが、それでも充分美味しい。アルザスワインと一緒にむしゃむしゃ食べてしまう。しかしそんな楽しい気分もつかのま、『イエジー・スコリモフスキ読本』(boid)の入稿であたふたする。さすがにフランスにいながら入稿作業までやるというのは無理があった……。

7月25日

Exif_JPEG_PICTUREExif_JPEG_PICTUREくよくよしていても仕方ないので、今日は豪勢にランチをしようと、前から気になっていた近くのビストロ「Les BOMBIS」に出かける。フランス人にはテラス席が大人気なのだが、私たちは店内の席へ。前菜+メインのコースと、メイン+デザートのコースをひとつずつ頼んでシェアをすることにする。前菜はアボカドとビーツのムース。私のメインは豚肉のロティ(ミラベルソース添え)、Sは定番のステーキ。プラムの一種だというミラベルの酸味のきいたソースが美味しい。食後にコーヒーを頼み、デザートはチョコケーキと悩んだが、さっきのソースが美味しかったのでこれまたミラベルのタルトにする。お店の人たちの感じもよく、会計時にお店の絵が描かれたポストカードをもらう。外に出てお店の外観写真をとっていると、中から店主のおじさんが出てきて、なぜかポストカードをもう1枚くれた。

美味しいランチに浮かれて少し歩いたところにあるスーパーのモノプリに出かけるが、途中でふたりともトイレに行きたくなってしまう。パリで何より困るのが、無料で入れるトイレがどこにもないこと。公衆トイレはたまに見かけるが、評判を聞くととても入る気にはなれない。仕方なく近くのカフェに飛び込み、一番安いコーヒー(エスプレッソ)代1ユーロを払い、トイレを借りる。こういうとき、コンビニや本屋など、清潔で無料のトイレがどこにでもある日本が恋しくなる。

7月26日

Exif_JPEG_PICTUREパリに来てから思ったほど映画を見に行っていない。イーストウッドの『ジャージー・ボーイズ』もゴダールの『さらば、愛の言葉よ』も上映しているのだが、いずれ日本で字幕付きで見られると思うとどうしても後回しになってしまう。今日はSに誘われて、ヴィヴィアンヌ・ペレルミュテールという女性監督の作品「Le vertige des possibles」を見に行くことに。しかし説明を聞いても「詩的な映画」というだけでどういう作品なのか要領を得ない。聞くと目当ては映画そのものではなく、終わったあとのトークだという。なんとジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』に出演していた女優フランソワーズ・ルブランが来るらしい。トークをしに来るのか、舞台挨拶なのか、そもそもこの映画とどういう関係なのかもまったくわからないがとにかく行ってみることに。

映画館に着いてみると、意外と人が少ない。そのまま上映が始まるかと思いきや、何やらあわてた様子で人が何人か流れ込んでくる。別のスクリーンに案内されてしまった人たちがいたようだ。監督が挨拶をし、ようやく上映がスタートする。作家らしい中年女性が、街を彷徨ったり、旧知の人を訪ねたりしているのだが、会話やモノローグは一切無い。伴奏音楽とかすかな環境音が流れるだけというまるで無声映画のような映像が延々と続く。過激な映画だなあと驚きつつ、セリフを聴き取れない私にはなかなかおもしろく見える。

Exif_JPEG_PICTURE1時間近く経ったとき、突然監督が部屋に飛び込んできた。困惑したように話しだす彼女。いったい何があったのかとSに聞いてみると、「どうやらこの映画には本来セリフが入っているらしい」と、驚くような答えがかえってきた。劇場側の手違いで、セリフの入った音声が流れていなかったのだという。ほぼ無音の映像を見つづけていた他の観客たちもざわつきはじめる。もう一度頭からかけ直すのだろうか? こういうときに日本と違うなと思うのは、劇場の人たちが決して悪びれているように見えない点だ。観客席からも苦情が出るでもなく、「やれやれ」といった笑いが漏れ、「どうするんだろうね?」と他人同士がざっくばらんに会話をかわしている。そうこうするうちにやけに堂々とした女主人が登場し、「とにかく最初の10分間だけ音をつけてもう一度流しましょう。その後は、いまの続きからかけます」と宣言する(とSに教えてもらう)。もったいつけたように「シャンパン」という言葉を発すると、席からは笑いとともに拍手が起こる。

こうして音付きの映像で再び上映がスタートしたが、こうなると私にはまったくセリフがわからず、さっきまでの無音のほうがよかった、とさえ思えてしまう。とにかく上映が無事終了すると、先ほどの監督と一緒に小柄な老婦人がスクリーンの前に登場する。彼女こそフランソワーズ・ルブランだ。ジャン=ピエール・レオーとベルナデット・ラフォンとともに伝説的な三角関係を演じた、『ママと娼婦』のヴェロニカだ。

今日の映画に出演しているわけではないが監督の要望により来場したという彼女は、一編の詩を読んでくれた。終了後のトークでは、音がないバージョンも意外とよかった、という意見も飛び出し盛り上がっていたが、私はフランソワーズ・ルブランの存在ばかりが気になってしまう。劇場の前方(スクリーンのすぐ脇)にあるトイレへ向かう際に彼女のすぐ目の前を通り過ぎたときは、ひとりでドキドキしてしまった。背の低い、けれど堂々とした女性だった。

トーク終了後外に出ると、もう一度見たい人のために無料のチケットを配布している。「女主人がシャンパンをおごると言っていなかった?」とSに聞いてみると、「言ってたね」と答えたうえで、「本当に出るわけないでしょ、ここはパリなんだから」とあっさり言われてしまう。

7月27日Exif_JPEG_PICTURE

今日は先日のブローニュの森のリベンジということで、パンを買い込み、ヴァンセンヌの森へ向かう。キッシュやシューケットなどを食べたあとは芝生で昼寝。湖もある広々とした森をゆったり散歩する。

スーパーに夕飯の買い出しにいくと、先日あきらめたフォアグラのパテがセールになっているのを発見する。これは買うしかないと10ユーロちょっとの赤ワインと一緒に購入。フォアグラはくるみパンに乗せて食べる。背徳的な味だが、たまにはいいかなと思う。

7月28日

いよいよ明日は帰国日。友人や家族にお土産を買いに行き、お昼はサン=ドニ通りでケバブを食べる。パリで定番のジャンクフードだが、とりわけ移民の多い界隈だからか、いままで食べたなかでいちばん美味しいケバブだった。お店のなかには地元民らしいおじさんばかり。するとひとりのおじさんが私たちの席にやってきて「中国人か?」と尋ねてくる。「日本人だ」と答えると、とたんに日本語でぺらぺらと話しだす。自分も以前日本にいたことがあるという彼は、突然「でも日本は地下鉄がこわいでしょう」と言い出す。地震のことかと思ったら、「サリン事件があったでしょう」とのこと。もう10年以上前だから……と反応に困っていると、日本の友人たちの名前を一通りあげてみせたうえ、「僕は日本語だけじゃない、全部で10カ国語以上話せるの」と上機嫌に語って帰っていった。

午後は近くの図書館や公園でのんびりと過ごす。夕飯は缶詰の鴨の砂肝のコンフィ。

7月29日

今夜の飛行機で日本へ帰国する。最後の一日をどう過ごそうかと考えているうちに、あっという間に午後になってしまう。最後の最後にお土産を買い忘れてあわててモノプリに向かう。思えばスーパーにばかり通う一か月だった。アパートまでの道を歩いていると、もう一度パリに来ることはあるだろうか、と少し感傷的な気分になってくる。こんなふうに目的もなくただ毎日だらだらと過ごす日はこの先そうそうないだろう。日本へ帰ったら現実が待っている。もう夏休み気分ではいられないのだ。

軽く夕飯を食べて、シャルル=ドゴール空港へ向かう。シャトレ駅からの電車に乗って空港に向かうのだが、この電車の汚さと強烈な匂いも、いまはなんだか名残惜しい。ギリギリまで空港で時間をつぶし、「次は東京で」と手をふってSと別れる。飛行機のなかでは『ゴシップガール』を見て過ごす。

こうして私の長い長い夏休みが終わった。

 

月永理絵
1982年生まれ。映画関連の書籍や映画パンフレットの編集を手がける。
2013年11月に、映画をめぐる小さな物語をつづった個人冊子「映画酒場」を創刊。「映画と旅」を特集した第2号も発売中。
「映画酒場」公式Facebook:https://m.facebook.com/eigasakaba

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