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絵描きからの片道書簡 二通目 「遠いところにやってきて」

2014.12.13

阿部 海太

阿部海太 / 絵描き、絵本描き。 1986年生まれ。 本のインディペンデント・レーベル「Kite」所属。 著書に『みち』(リトルモア 2016年刊)、『みずのこどもたち』(佼成出版社 2017年刊)、『めざめる』(あかね書房 2017年刊)、共著に『はじまりが見える 世界の神話』(創元社 2018年刊)。 本の書き出しだけを読み、そこから見える景色を描く「フロム・ファースト・センテンス2」を連載中。 kaita-abe.com / kitebooks.info

2014年夏。
僕は絵の具の匂いが充満するアパートの自室で、絵本「みち」の原画を描いていました。
BGM
Daniel Johnstonの「1990」。
彼を撮ったドキュメンタリー映画を見て以来、取り憑かれたように聴いていました。

ダニエルが悪魔について歌っていた1990年。今から24年前。
僕は4歳で、父の仕事の都合で神奈川から埼玉へ越して来た頃です。
そこから更に2年後の1992年春。僕が小学校へ上がる年に、両親は仮住まいのマンションから二町ほど離れた片田舎に一軒家を購入しました。
そこは山を切り崩して作られた新興住宅地で、僕が越して来た小学生の時分にはまだ住宅より空き地の方が多いような、全く新しい町でした。蓄積された山の時間の頭だけをすげ替えるようにつくられたその町は、風習や文化は無く、祭事も自治会のバザーくらいしか記憶にありません。
それでも小さな子供たちにとっては自分の家とその周りだけが世界ですから、そこには社会があり流行があり喜びと悲しみがあります。山に分け入って秘密基地を作ったり、空き地に落とし穴を掘ったり、蛇を追いかけたりするのに忙しくも充実した幼少期を過ごした僕にとって、その町は好むも好まざるも出入り口の無いひとつの完結した世界でした。しかもその辺り一帯は山々に囲まれた盆地で、今思えば、それはまるで純粋無垢な童心を何かから守るための目隠しを思わせるようなところがありました。初めて町を離れたのは大学に上がったときのことです。
そこは大きな川が流れる関東平野。
大きな川や開けた土地を見たのが初めてだったわけではありません。
それでも、寝ても覚めても遠い視界に山が映らないその地は、僕にとっては紛れもなく新世界でした。

暮らし始めてすぐに川の虜になりました。
土手の上はその町でいっとう空がよく見える場所で、それはよく学園ドラマに出てくるあの手の土手に比べてもっと殺風景で、人の手が入り過ぎていないところも気に入っていました。継ぎ目の無い大きなスクリーンに映し出されたグラデーションを、その終わりまで見届けることのできる特等席を得たことにひとり静かに興奮していた僕は、まるで今まで知ることのなかった甘い果実をむさぼるように、夏でも冬でもおかまい無しに自転車を駆り立て、川沿いを走りました。
しかし振り返ってみると、あの土手からの風景に対する僕の執着は、空の美しさとはまた別の、全く新しい種類の感動に触れたことからきたものだったのだと、今、改めて思います。
それは、どこかこれまでの自分を断ち切ったような、ずっと掴んでいたロープをぱっと手放したような、今までに感じたことの無い清々しい高揚感と寄る辺ない気持ちでした。

「僕は今、遠いところにやってきた」

ここまで電車でどのくらいという「遠さ」ではありません。
このとき僕は、時間を計るのとは違うやり方で、より動物的な感覚をもって「遠さ」を理解したのだと思います。その頃から、開けた場所や広い空のイメージは、僕にとって特別な意味を帯びるようになりました。

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大学を卒業してすぐ、ドイツはベルリンに飛びました。
目的は留学と芸術的挑戦。結果は惨敗もいいところで、舞台にも上がらせてもらえない程でした。
傷心の僕はいろんな言い訳をふりまきながら、たった1年でヨーロッパから逃げ出しました。
そして向かった先は未知の国メキシコ。その地には父方の叔母が住んでいました。

メキシコ最南端の観光地、サン・クリストバル・デ・ラス・カーサス。古くはマヤ文明の文化圏で、今も少ないながらインデヘナ(スペイン語でインディアンは蔑称にあたる)の人々が町から少し離れたところにそれぞれの集落を作って暮らしています。叔母の家は町とその集落のちょうど間にあり、パートナーのアメリカ人と一緒にもう20年以上暮らしていました。家はちょっとした高台に建っていて、その庭からは麓の町並みと広い空とを同時に眺めることができました。あまり家を空けない彼女が町に下りるとき、町のほうを見やってよくこう言っていたのを覚えています。「さて、civilizationに行ってくるかな。」

貸家用の小さな家を当てがってもらい、1年弱絵を描いて過ごしたその間、メキシコ国内、隣国グアテマラ、そして南米の国々を旅しました。
木々や大地は荒々しく、人や町は生々しく、そこら中に生命の雫がポタポタと滴たり、道ばたに捨てられたスクラップさえ光って見えたほどです。
そんな光景を目の当たりにしながらそれでも結局僕が選んだのは、あの日土手から見た景色と同じ、空以外は何ひとつ無い、だからこそ風と光に満ちた、遠く広がる原野の風景でした。
荒野に伸びる唯一のハイウェイ。その細長い一本の道にしか、人の気配を見いだせないような場所。
遠くグアナコの群れからの視線。藁の島が浮かぶ湖。朽ちた線路。
砂利を踏み進むバスから見た、青黒い夜に揺れる白い月。

遥か辺境から帰国してから3年、身体は東京に在りながら、心は度々荒野に帰りました。
そして帰る度に絵を携えて戻ってきました。
そうしてできたのが「みち」です。

荒野は美しいです。
それは最高純度の美しさです。
それは自分のこれまでの知覚から遠く離れた、まさしくトリップの先に目にすることのできる美しさです。
ただ、そうやって熱い目と口で訴える一方、かの地で暮らす叔母にとっては、その景色はまた別の感情を生み出すだろうこともちゃんと知っています。
ちょっと編み物を習いに行ってくると言い残してアメリカ大陸に渡り、それっきり帰ってこなかった叔母。
それから20年経ち、肌は日に焼けて、その笑顔はもうすっかりインデヘナのような叔母。
そんな彼女にとって、「遠いところ」とはいったいどこを指すのでしょう。

僕の目は、コピーされた家々が整然と立ち並ぶ町のその向こうの山間を飛び越え、大きな川を見ました。
そして大きな川の向こうに広がる空は太平洋をまたいで、澄み渡ったwildnessに届きました。
遠い場所はあるとき自分の場所となり、そして再び遠い場所が見つかります。
そのことに気付いた今、僕はずっと描き続けていける気がします。
そして人々は皆、心のうちにそれぞれの「遠いところ」を持っているのだとしたら、
それこそ絵がこの世に生まれた一つの理由足り得ると思うのです。
そういう思いで、僕は絵を描いています。

海太

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*阿部海太『みち』(Kite)2.800円+税

阿部海太 / kaita-abe.com
Kite / kitebooks.info

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