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ヘテロトピア通信 第10回

2016.06.08

ヘテロトピア 通信

2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)


鉄犬ヘテロトピア文学賞についてはこちら

<『東京ヘテロトピア』を続けながら>text by 林立騎

 

 『東京ヘテロトピア』プロジェクトが4月から本格的に再始動しています。これは「東京の中のアジア」をテーマにしたiPhoneの観光アプリ/演劇作品で、今は東京の中の14ヶ所の訪問地を訪れ、その場所にまつわる「アジアの歴史」を知り、「その場所でありえたかもしれない物語」に耳をかたむけることができます。管啓次郎さんをはじめとする、「ヘテロトピア=異郷」をめぐりつづける執筆陣が物語を書き下ろし、多くの場合、日本語を母語としない朗読者の声となって、その物語が聞こえてきます。秋からはコンスタントに新しい訪問地を訪れてもらえるよう、目下チームで準備を進めています。わたしは訪問地のリサーチをガイドブック・テキストにまとめる仕事をしています。

 2013年にこのプロジェクトが始まって以来、ひとにもよく聞かれ、自分自身でも考えていたのは、「アジア」とはどの範囲を指すのだろう、ということでした。「アジア」とはどこを、どこまでをいうのでしょうか。この問いに対する明確な答えを持たないことに、以前はなんとなくうしろめたい気持ちを抱きましたが、今では少しちがったふうに考えています。最初に定義があってはこぼれ落ちてしまう、学問も政治もなかなか取り上げない小さな歴史や事実をこそ、こうしたプロジェクトですくいあげる意義があるのではないかと思うのです。どういうことか、最近のリサーチを例に挙げましょう。

 ロシア革命から逃れて満州に育ち、日本に渡って医学を学び、終戦つまり満州国の消滅とともに無国籍になり、無国籍のまま90歳まで全世界からの患者を迎えた医師が東京にいました。ロシア生まれで無国籍でも、彼の移動は「アジア」の歴史に含まれているのではないでしょうか。あるいは、阿片戦争後に中国からヨーロッパの動物園に売られ、中国本土では絶滅し、100年近く経ってようやく子孫が中国に戻った動物が東京にいます。この動物の移動もまた、「アジア」について多くのことを考えさせてくれます。

 「アジア」とはなにか、誰が、どこまでが含まれるのか、という定義から入ろうとするだけで失われてしまうものがあります。近代の一つの特徴を、人間を中心に、あらゆるものごとを区別し境界を引いたことと捉えるなら、今のわたしたちの課題は、いかに人間以外の存在をも含みこんだつながりを感覚し直し、生き直すか、ということではないでしょうか。区別と確定の思考が多くの実りとともに多大な犠牲を生んできたあとで、今のわたしたちは、自分たちの足元のこの東京に残っている具体的な歴史から、事実から、「アジア」に延びる線を拾い上げ、別の視線で捉え返し、辿り直すのです。

 どうしてこのレストランがここにあるのか。この動物がここにいるのか。この本がここに置かれ、この記念碑が立ち、この墓があるのか。どうしてここにはもうなにもないのか。東京の「今」が過去に延び、東京の「ここ」がどこかにつながり、その延長を、つながりを歩き、食べ、読み、聴くとき、わたしたちは「アジア」を確定することなく、移動や歴史を身体で知り、あらたに感じ、考え直すことができるのではないでしょうか。

 かつてヴァルター・ベンヤミンは、一つの広場を知るためには、あらゆる方向からその広場に入っていかねばならないだけでなく、あらゆる方向に向かってその広場を立ち去ってみなければならない、と書きました。一つの広場を定義しても仕方がないのと同様に、東京やアジアを確定するのではなく、東京やアジアを知るためにこそ、定義したい気持ちを宙吊りにしたまま、中断したまま、あらゆる種類の線を歴史と現在の中に見つけ出し、東京そして内なるアジアを訪れ、また立ち去ってみるのです。ベンヤミンが移動そのものの中にこそ広場を知る経験を見出したように、線を引き、それを辿り直す中に、わたしたちそれぞれにとっての東京やアジアが浮かび上がるかもしれません。

 ライプニッツはかの有名な『モナドロジー』において、世界を構成する事物について以下のように書きました。「というわけで、どの物体も、宇宙のなかで起こるすべてのできごとを感知するから、仮になんでも見える人がいるとすると、その人の目には、各物体のあらゆるところでいま現に起こっていることがらだけでなく、いままで起こったこと、これから起こるであろうことまで読み取ることができるわけなのである。時間的、空間的に遠くはなれているものを、現在のなかに認めることができるわけなのである」。

 東京の中に残る小さな事実をよく見ると、そこからわたしたちの過去、現在、そして未来までもが見えてくるかもしれません。それがもはや「新しい」とされることのほとんどに疑念と失望しか抱けない東京における、もう一つの「観光」のかたちです。

 最後にこのプロジェクトが「演劇作品」でもあることについて、一つのエピソードから。ヴァルター・ベンヤミンはあるとき、ベルトルト・ブレヒトの新作戯曲を読んでその感想を伝える手紙に、「きみは囲碁を知っているだろうか?」と書きました。ベンヤミンは、ブレヒトの演劇を囲碁にたとえています。すなわち、囲碁においては、チェスや将棋のように駒同士が激しく動いて衝突することはないけれども、そうした囲碁を打つ人と同じように、ブレヒトは、ただ淡々と正しい表現を正しい場所に置く、しかも囲碁の石のように、重々しさはなく、軽妙に。そしてブレヒトによって様々な位置に置かれた表現は、それ以上派手な動きを見せることはないが、しかるべき時間が経つと「正しい戦略的な機能を果たす」、それがブレヒトの演劇だと、ベンヤミンは言うのです。

 この話は『東京ヘテロトピア』の理念をあらわしているかのようです。東京の中に大規模なイベントを生み出すのではなく、そうしたイベントが生まれていくあいだに、少しずつ石を、つまりヘテロトピアを見つけ出し、置いていく。そしてしかるべき時間が経つと、大きなイベントの周囲や内部にすでに多くの石/ヘテロトピアがまぎれ込んでいて、東京という都市に別のレイヤーを浮かび上がらせ、一つの巨大な祝祭をつくり出すのとは異なるかたちで、この都市の歴史的な、現在的な、未来の可能性を感じさせる。

 ベンヤミンが一瞬夢想した、派手な衝突のない、囲碁のような演劇という考えは、演劇史の中ではほとんど顧みられず、忘れ去られているかのようです。しかし静かに正しい表現を積み重ねた末にわたしたちの日々の生活が別の見え方をするような、そんな体験が、アテナイの海を見遥かしながら観劇した古代ギリシア以来の演劇実践であるとしたら、そうした生と地続きの演劇こそ、現代にはふたたび必要なのかもしれません。そして「しかるべき時間」が経ったあとに『東京ヘテロトピア』が果たすべき「機能」とは、この東京で、移動とつながりとしてのアジアで、今生きている人間たちの中だけで完結しないようなつながりを、誰かに卑劣な負担と犠牲を押し付けない共生のかたちを、「革命的」な言葉のあり方を、生活の仕方を、どのように生き直し、つくり直すか、それをわたしたちが移動しながら、いろいろなものを食べながら、たくさんの声を聞きながら、楽しくまじめに学び、考え、より自由でより善い個人として、次の実践へと移っていくことではないかと思っています。

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林立騎(はやし・たつき)
1982年新潟県生まれ。翻訳者、演劇研究者。東京藝術大学特任講師、京都造形芸術大学非常勤講師。一般社団法人Port観光リサーチセンター所長、NPO法人芸術公社メンバー。訳書にイェリネク『光のない。』(白水社、第5回小田島雄志翻訳戯曲賞)、共編著に『Die Evakuierung des Theaters』(Alexander Verlag Berlin)。2005年より高山明/Port Bの作品制作に参加し、広義の「翻訳」としてのリサーチを実践している。

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