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ヘテロトピア通信 第3回

2015.01.12

ヘテロトピア 通信

2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)


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〈東京ヘテロトピアに参加して〉Text by 小野 正嗣

 

 これまで、故郷である大分県南部の海辺の土地をモデルにした「浦」を舞台とする小説を主として書いてきた。リアス式海岸で岬と入り江が入り組んだ地形を作る蒲江という漁師町に18歳まで住んでいた。大学に入るために東京に行き、フランスに留学したのが26歳のとき。フランスから戻ってきたのが34歳で、その後ずっと東京に暮らしている。計算してみると、蒲江に暮らしていた期間と東京で過ごした時間が、だいたい同じ長さになった。しかし東京を舞台にした小説を書こうと思ったことがない。大分の故郷に対して感じる近しさを、東京には感じることができないのはどうしてなのだろうか。

 
 考えてみると、僕の場合、土地との関係は、その土地の歴史や風土と親密なつながりを育んでいると感じられる人たちをどれだけ知っているかに左右されているようだ。郷里の集落の場合、住人の大部分がたがいに顔見知りである。かりによく知らない人に出会っても、誰かに尋ねれば、どこに住んでいて、家族構成がどうで、何をしているかなど、かなり具体的な情報がたちまち得られる。どの人の背後にも、程度の差はあれ、自伝的な要素という奥行きが透けて見えるのである。一人の人間から伸びているいくつもの関係の線が、同じように他の人から伸びている関係の線と、きわめて密接に結びつきながら、人々が暮らす土地をいわば網となって覆っている。人の数は少ないが、個々の人間から発する線がどれもこれも相当の密度で相互にぎゅっとつながっているので、網のカバーする範囲は狭くとも、いや狭いだけに、土地をしっかり捕まえている。幾世代にわたって堆積されてきたそうした関係の網の目こそが、その土地だと言うべきか。そこに暮らす人々と親しく接していくうちに、自然に、土地そのものとの距離が近しく感じられるようになる。

 
 僕は東京を構成するいかなる場所ともそのような関係を持ったことはなかったし、今後も東京でそのような関係を結ぶことはないと思う。

 
 しかし東京ヘテロトピアを通して、故郷と取り結んでいるのとはちがったやり方で土地について書くという経験をした。東京ヘテロトピアが書くべき場所として、つまり記憶に留めておくべき場所として選んだのが、そこが生まれ育った土地ではなく、故郷と呼べる場所をほかに持つ人たちが暮らす場所ーー池袋の東京芸術劇場のほかに、僕が書いたのは、御徒町のジャイナ教徒の営むレストラン、カンボジアからの難民が開いた代々木のレストランについての物語だったーーであることはとても興味深い。そうした場所で生きる人たちも僕も、むろん置かれた状況はまったく異なるけれど、別の土地の記憶を胸深くに抱えながら東京で暮らしているという一点は共有していると思うからだ。

 
 でも、それを言えば、僕の郷里も含め、どんな小さな土地であっても土地とは元々はそういうものなのではないか。すっぽりと土地を覆っている濃密な網も、それが網である以上、隙間だらけである。表層では、こぼれ落ちるもの、流れ込んでくるものが、たがいにその身をこすり合わせながら、ざわめいている。よく見れば、いろんなところで関係の糸は切れている。断線だらけ。そこに結び目をつくろうと新しい関係の糸が外から伸びてくる。線はぴんと張りつめ、振動し、たわみ、踊り、いびつな結び目やほつれ、思いも寄らぬ編み目が生まれる。でもそうでなくてはならない。完全に閉じられた土地に待っているのは死だけだから。もつれ、絶ち切られ、新たな編み目が結ばれては破れる。それが土地が生きるということだ。土地について書くとは、この絶えざる断絶と接合の運動に、つまり土地の生の脈動に、言葉で寄り添うことなのだろう。(了)

 
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小野正嗣(おの・まさつぐ)
1970年生。大分県出身。東京大学教養学部卒業。
同大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。パリ第8大学Ph.D。
2001年、「水に埋もれる墓」で第12回朝日新人文学賞受賞。
2002年、「にぎやかな湾に背負われた船」で第15回三島由紀夫賞受賞。
現在、立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授

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