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「プリズム」

2015.01.08

ponto

ponto…2014年3月、小説家・温又柔と音楽家・小島ケイタニーラブが、朗読×演奏によるパフォーマンスをはじめ言葉と音を交し合いながら共同制作するために結成したユニット。同年9月、構成・音響・演奏をとおして2人の活動を支える伊藤豊も雑談家として加入。 SBBで行われている温又柔と小島ケイタニーラブの創作イベント「mapo de ponto」でできた作品をこちらのページで公開中。

_プリズム(小島ケイタニーラブ)

どんぶら どんぶら
どんぶら どんぶら こっこっこ

うたかたのかぜよ
そよぐまえがみよ

どんぶら どんぶら
どんぶら どんぶら こっこっこ

 

 

Kvin 5 プリズム又(温又柔)

トタン屋根の下の天井を打つ雨の滴。
夢とうつつの間でまどろみながらいまは夏なのだ、ということを一番最初に思い出した。

上京して2度目の夏。

東横線の駆け抜ける音が聞こえない。各駅停車でなければ停まらない駅が最寄りの、線路沿いのアパートではなく、ぼくはいま、高校をでるまで毎日ねむっておきた実家の部屋でうたたねをしている。

階下では家族の気配。母と祖母のかしましい笑い声。祖父と父は、甲子園中継にくぎづけになっているはずだ。もうじき叔父と従妹のすみれもやってくる。それからかすみ姉さんたちもーー。

*

この夏、生まれて初めて写真集を買った。
表紙を飾るのは、湖を背にしてすくっと立つ、ひとりの美しい女性だ。
写真家の妻である彼女が、もうこの世にはいないと知り、ぼくは軽い眩暈をおぼえた。不謹慎なことかもしれないが、とっくに死んでしまったひとの、やさしさに充ちつつも、柔らかな危うさも感じさせる微笑を浮かべた瞬間が、一枚の写真の中に永遠にある、という事実に感動してしまったのだ。それから、甘い哀しみが胸いっぱいに広がる。
ぼくはたぶん、その写真集と出会った瞬間から、叔母――かすみ姉さんとすみれの母親――のことを考えていたのだと思う。写真集の女性の顔だちや体つきは、ぼくの叔母と何一つ似ていない。けれども、その微笑は、叔母のことを思いださせる。

*

写真の日付は、1998.8.22。
裏庭の真ん中にはビニールプール。ワンピースの水着で笑うかすみは8才。プールの中で水しぶきをはねながら大笑いしているぼくは2才。1才になったばかりのすみれを抱えた叔母の笑い顔は、姉妹の母親というよりも姉といった方がふさわしいぐらい若々しく少女めいている。

事実、父や母によると、叔母は何年たっても少女のままだったという。
それは肯定的な比喩ではない。叔母は子どものまま、大人になることができない人間だった。
そういう病気だった、と父母が囁き合うとき、水しぶきの中でキャッキャとはしゃいでいた叔母と、そんな母親のようすを、むしろ娘を見守るように見つめていたかすみ姉さんのまなざしを思いだす。

あれはぼくが6才、かすみ姉さんが12才のときだ。
祖父母と両親、それに叔父、要するに叔母以外のおとなが一人もいない状態だった。
かすみ姉さんは、数年前のように水着に着替えることなく、Tシャツとショートパンツ姿である。
小さかったすみれのために、というよりは、叔母がそれを求めてさわぐのでぼくらは裏庭にビニールプールを出した。ぼくらといっても、中心になって動いたのはかすみ姉さんなのだが。

木々の間からもれる光が痛いほど眩しかった。蝉の声も激しかった。
叔母は、青い色のホースをにぎってそこらじゅうに水を放ちはじめる。すみれがキャキャと笑う。ぼくもワーワー騒ぐ。
ぼくらの反応がたまらなく面白かったのか、叔母の興奮が募る。ようすが一変したのは、叔母がすみれにホースの水を直接あてはじめたときだ。はじめ、すみれは笑いながら母親からの攻撃を楽しんでいた。
が、水の勢いがつよすぎて、転んでしまった。すみれがひざをついて転んでしまったあとも叔母ははしゃぎながらたった4才の愛娘に水の攻撃をつづけた。すみれはぐしょぬれになる。立ちあがろうとするが、水っ気ですべってよろめく。叔母はそれが可笑しいのか更にかん高い声で笑ってすみれに水を浴びせつづける。とうとうすみれはべそをかきだす。ぼくにもだんだんようすのおかしいことがわかってきた。

   「おばちゃん、やめて。すみれが泣いてる!」

叔母の前にかすみ姉さんが立ちはだかる。叔母はかすみ姉さんにも水を浴びせる。
かすみ姉さんは、叔母からホースをうばおうとする。叔母は、新しい遊びがはじまったように顔を輝かせ、かすみ姉さんからホースをうばわれまいと笑いながら走りだす。

そしてーー僕は確かに見たのだ。かすみ姉さんは、叔母さんをつきたおした。叔母はしりもちをつき、何が起きたのかわからない、という表情になる。ホースがひっくり返り、庭中に水が散乱する。すみれの泣き声がやむ。叔母もかすみ姉さんもびしょぬれだ。

   「なにすんのよう…」という声がひびく。
   「なにすんのよう、なにすんのよう、なにすんのよう……!」

立ち尽くすぼくと、泣きわめく母親をよそに、かすみ姉さんはすみれのもとに行くと、

   「ほらもう大丈夫よ。」

おとなのような声色で小さな妹に声をかける。かすみ姉さんがすみれを抱きあげ、家の中に消えてしまったあとも、叔母は光を撥ねる水しぶきの中でしゃくりあげていた。

*

次の夏を迎える前に、叔母はこの世を去った。
享年36才。

*

「おばあちゃんも、こうやって水遊びするのが大好きだったのよ」かすみ姉さんがそう言うのをきいて、ぼくはひそかにどきりとする。

この夏、ビニールプールが久しぶりに裏庭にあらわれた。
かすみ姉さんの夫・平井さんが、2才になるかれらの愛娘のために購入したものだ。母はすぐに「うちに来たらいいわ、あんたたちのとこじゃ狭いでしょう」と母にとっては娘同然のかすみ姉さんに提案した。ぼくにとっても姉さんの子どもは姪のようなものだ。可愛くてたまらない。みんなにそう呼ばれるので、じぶんでじぶんのことを「ひーちゃん」と呼ぶところもたまらく可愛らしい。

「ひーちゃんね、おじちゃんとお水で遊ぶの~」そうねだられて、ぼくはとっさにかすみ姉さんの方を見る。かすみ姉さんはにっとほほ笑むと、わざと甘えた口調をつくってぼくに言う。
「ねえ おじちゃん、遊んであげて~」
おにいちゃん早く! と裏庭から顔を出したのは17才のすみれだった。平井さんとぼくとすみれは力を合わせて真新しいプールをセットする。夜明けまで雨だったので、そこらじゅうがしっとりと濡れている。
夏の光はやっぱり痛いほどだ。蝉の鳴き声の中、ぼくたちの笑い声がひびきわたる。
だれもがみんな、水と光と夏を心から楽しんでいた。

日が暮れる前にと平井さんがデジタルカメラをぼくらのほうに向ける。

「ほら、ひーちゃん、パパのほうみて、ぴーす!」とすみれがプールの中でぱしゃぱしゃはしゃぐひーちゃんをつつく。ひーちゃんの顔をカメラにむけさせるすみれのかたわらで、ぼくは手まねきをする。眩しそうに目を細めながらかすみ姉さんがゆっくりと近づいてくる。

ー日付は2014.8.22。
ーかすみ姉さんの笑みは限りなく優しい。

水と光の中ではしゃぎながら、ぼくはふと、あの写真集のことを思いだす。あの女性のまなざしを思う。

   「ひーちゃんの死んじゃったおばあちゃんも水遊びが大好きだったのよ。」

かすみ姉さんの声は、温かかった。

   「あいしてる、あいしてる、あいしてるーー。まるで仔ネコに頬ずりするみたいな…
    あたしのこと食べちゃうぐらいの勢いなのよ。
    あたしだって、ふつうのお母さんに憧れなかったこともなかったわ。
    でもね、それはそれ。
    あたしのお母さんは、あたしのことも、すみれのことも、心から愛していた。
    そう、動物みたいに本気で。」

最愛のひとの、最も幸福なひとときの中心に、自分がいたということ。
その確信が今もかすみ姉さんの最も深いところを照らしているのだろうか。

いずれにしろ、母方の祖母の愛した夏の光にちなんで 「ヒカリ」と名付けられたひーちゃんがおとなになるのを、ぼくらはみんなでこれからも見守っていくのである。

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引用:『古屋誠一 脱臼した時間』siichi furuya ”Aus den Fugen”(赤々舎)
「そこにいると同時にそこにいないような者からの視線。」

 

【店主の一言メモ】
もうそこにいない人の記憶もだれかの頭とこころに刻まれている。
それが嬉しいのか、悲しいのかはわからない。
その人がそこにいたということ以外、確かなことは何も無い。
それでも悩み、考え生きていく。どんぶらこ、どんぶらこっこ。

ムービー撮影:朝岡英輔

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