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ヒロイヨミ社のわたし 1

2014.09.10

ヒロイヨミ 社

ヒロイヨミ社。山元伸子によるリトルプレス。言葉を読むための新しいかたちを求めて、紙や印刷にこだわった冊子などを製作・発行。2014年12月にSBBで始まる展示フェアに向けた創作日記を連載中。

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 9月のある日。ぽっと赤らんだ少女の頬のような、子どものおしりのような、かわいらしい桃を、そっとつかんで、皮をむいて、まるごと食べた。甘い汁が、口からも指からも滴る。気にせず、けだもののように食べる。食べおわってため息。おいしかった。満ちたりた思いとものがなしさと。あんなにやわらかで、みずみずしいものを、貪りつくした。のこった種は骨みたい。獣の涙は流れなかったけれど。
 

「(……)本当にあれほど深く密着しあれほど我を忘れて夢中になって自分自身を与えたということははじめてです。あなたを貪りながら、私の全てをあなたに与えている、あるいはあなたに貪りつくされながらあなたの全てを与えられているという気も狂いそうな充実と過剰な接触のなかで、我を忘れて、ゆっくりと、けれどもたとえようもない性急さで溺れて……」(金井美恵子「グレート・ヤーマスへ」)*

 
 食べることは、愛しあうことに似ている。そして、読むことにも似ている。すべてからだの奥深くにおよぶ、およんでしまう、大きなよろこびであり、目くるめく体験だ。
 食べるものと食べられるもの。愛するものと愛されるもの。あるいは、愛されるものと愛するもの。読むものと読まれるもの。どことも知れないどこかからやってきたもの同士が、出会って、ふれあって、ひとつになる。
 あたりまえのようで、それは、奇蹟のようなことなのだ。
 
 詩にひかれている。詩を読んで、詩について書かれたことばを読んで、詩人の生きた時間に思いをはせて。詩とはなんだろう。考えても、よくわからない。みんなそれぞれの場所で、それぞれのことをいう。
 きっとわかりやすい答えなど、ない。それがもどかしくなることもある。けれども、いつでも一篇の詩は、ひらかれてそこにある。きっぱりと迷いなく、身をさしだしてくれている。そのことに、ただ感謝する。おかげで今日も生きていかれる。
 
 言葉を組んで、刷って、綴じて、本にする。ときどきはものがなしい。また貪ってしまった。だけど、つくらずにいられない。詩をわかりたいから。たとえわからなくても、つかの間でも、詩とともに生きた、深く密着してひとつになれた、そんな気持ちをあじわいたいから。それがわたしの、詩の愛しかた。夢中になること。我を忘れること。自分のからだも、詩にさしだすこと。

 さて、またあたらしい本をつくろう。
 
 
 
 
*金井美恵子『愛のような話』(中央公論社)所収

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