それぞれの道具「道具と出合う、本の中へ」 3 ”外套”
2014.12.23
中澤季絵(なかざわ・きえ)イラストレーター/絵描き 絵で暮らしをいろどる楽しさを軸に幅広く活動中。理科系出身、生き物がとてもすきです。脇役蒐集人。このページでは、本の中の道具を描き連載中。 www.kienoe.com
外套
「ペトロ―ヴィッチがついに外套を届けに来た日は、恐らくアカーキイ・アカーキエヴィッチの生涯において
いやが上にも厳かな日であったに違いない。それを持って来たのは、朝早く、ちょうど役所へ出かけなければ
ならない、出勤まぎわの時刻であった。」
「外套」『外套・鼻』 ゴーゴリー作 平井 肇訳 岩波文庫より
新しいコートを仕立てる。始まりはただ、それだけのことだった。
この些細な出来事で主人公の毎日がどんどん波立っていくのを不思議な気持ちで見ていたけれど、
同じような「取るに足らないこと」の連続で、わたしの毎日もつくられているのだった。
冴えない主人公の描写は、どこかに隠し持っている不格好な自分をちくちくと刺激するようでもあって、
少し苦い味を飲み込んだ。それなのにあたたかく思えたのは、人間のすべてを尊んで、静かに見つめる
著者のまなざしに気付いたからかもしれない。
当事者だけが知っている、毎日生きるということの内側を、こわれないようにそのまま取り出して
くれたみたい。明るいところも、暗いところも、そのまんまで。
いびつで、こわれやすいけれど、きっと弱いわけではないのでしょう?
そんな問いかけに、こつんとぶつかった気がした。
ただコートを新調したかっただけなのにね。
景色を見ると、思ったより遠くまで来たみたい。