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「星の数え唄」

2014.08.14

ponto

ponto…2014年3月、小説家・温又柔と音楽家・小島ケイタニーラブが、朗読×演奏によるパフォーマンスをはじめ言葉と音を交し合いながら共同制作するために結成したユニット。同年9月、構成・音響・演奏をとおして2人の活動を支える伊藤豊も雑談家として加入。 SBBで行われている温又柔と小島ケイタニーラブの創作イベント「mapo de ponto」でできた作品をこちらのページで公開中。

tri 3 星の数え唄(温又柔)

「自転車ならあっというまなのに……」
なのに、ぼくたちは自転車ではなく、わざわざ田園調布経由で東横線に揺られて学芸大学にやってきた。
駅を出て1分もしない場所に、この古めかしい、昔ながらの喫茶店はある。

「あんぐいゆ!」

ぼくがその店名をなかなか覚えられないことに、妻はいつも呆れている。妻は学生時代の一時期、頻繁にこの〈あんぐいゆ〉に通っていた。友人が近くに住んでいたからだという。会社勤めするようになると、その友人と疎遠になったのもあり、妻が学芸大学を訪ねる機会はがくんと減った。が、1年半前、ぼくとの入籍を機に武蔵小山に新居を構えると、休日は2人でこのあたりに遊びに来ることが自然と増えた。
〈あんぐいゆ〉は、小さいけれど、静かないい店だ。コーヒーも抜群においしい。妻の案内ではじめて来たときから、ぼくはここがとても気に入っている。
今日も駅からまっすぐここに向かった。短い階段をのぼって扉を押し開くと、芳ばしい珈琲の匂いが漂う。わりと込み合ってはいたが、タイミングが良かったのか、ぼくらが<特等席>と呼ぶ、通り沿いの窓に面した奥の席がぽっかり空いている。ヤッタネ、と声を出さずにいられないぼくを妻が笑う。
そのときまでは機嫌がよかったのに。
雲行きが一気に怪しくなったのは、例のカップルに話が及んだときだった。ぼくらは、彼らを東横線の中でみかけた。車内はわりと空いていた。ぼくらの向かい側に座っていた2人は見たところ、学生のようだった。男のほうは、破れたジーンズを履いた両足を大きく開いている。そして、聞こえよがしに熱弁ふるっていた。

ーーつまりさ、映画ってのはもうコンテンツとして可能性があまり残ってない古い媒体なんだよー。

若者のザレゴトといえばそれまでだが、映画の配給会社の宣伝部に籍をおく妻には許しがたい発言だった。

「どうせどっかで聞き齧ったようなことを、さもクリエイティブなことを喋ってます~みたいな調子でアホそうな女に聞かせるその神経。勘弁してほしい、ホントに……」

妻の口ぶりは憤懣やる方ないといった調子だ。どうでもいいじゃないか、あんな若者はどこにでもいる。いちいち腹を立てるほどのことはない。内心そう思うのだが、こういうときにうっかり口を挟むと百言い返されるのが常なので、黙って珈琲を啜っている。妻はしょっちゅう不機嫌になる。近頃は特にそうだった。
でも、しかたがない。
ぼくは、田舎の祖母の家にミーチャという名の猫がいたのを思いだしている。もっさりとしていてほんの少し動くのにも億劫でたまらないという風情の猫だ。子どもの頃、そのミーチャに思いきり引っ掻かれたことがあった。
――そりゃそうさ~、今、ミーチャ様は子を孕んでいるからねえ
祖母がメンソレータムをぼくの手のひらに擦り込みながら教えてくれた。妊娠中のメス猫は、そうでないときとは比べようもないほど神経が研ぎ澄まされるものなのだと、ぼくはそのとき教わった。自分やおなかの子を脅かそうとするものの気配に敏感になり、攻撃的になる。
今、妻のおなかの中には、あのときのミーチャみたいに赤ん坊がいる。
ぼくらは半年後、親になる。

――あなたはね。

妻の言うとおりだ。
赤ん坊をこの腕で抱くまで、男の自分は父親になったという実感を抱くことは難しいのだろうけど、女である妻にしてみれば、重たい体を抱えながらすでに母としての負担をおっている。

正直、そればかりは敵わないなと思う。

だから不機嫌な妻の口調が多少とげとげしくても気にしない。妻も自分でよくわかっているはずなのだ。こんな態度はぼくにしか見せられない。普段は仕事柄、あちこちで人に気を遣ってばかりでクタクタになっている。それでも、映画を愛してやまないからこそ奔走してきた。

「次は?」
顔をあげると、半分睨みつけるようにぼくのことを見ている。妻の声は苛立っていた。
「次は何すんの?」
天気予報では曇りのち晴れといっていたのに、窓のむこうの空は薄暗かった。ぼくは妻の顔を見つめ返す。眉間に皺が寄っていた。わずかだが額が汗ばんでいる。その頬にふれようとした途端、妻は視線を落とした。
「……ごめん。なんか疲れちゃって……わたし、あなたと結婚してよかった」

唐突に言い出すのでかえって心配になる。今にも泣き出しそうな気配の妻の手を握りしめる。

「本屋に行こう。」
「え?」

昨晩、次の日は久々に〈あんぐいゆ〉でお茶でもしようと2人で決めたあと、ネットでこっそり調べておいたのだ。
鷹番二丁目に小さな本屋がある。

「本屋?」

ぼくよりもこの町にくわしいと自負しているはずの妻が疑わしそうな表情を浮かべる。

「去年オープンしたばかりの新しい店らしい」

風の強い日だ。
鷹番二丁目にむかう道、どちらからともなくぼくたちは手を繋ぐ。ひんやりと冷たい妻の手を、ぼくは包み込む。きゅっと握り返す妻の横顔は、照れもあるのか憮然としたままだった。
迷子になりかけて、どうにか目的地に辿り着く。へえ、と妻が感嘆の声をもらす。

「ステキな本屋さんね。」

妻がそう言うのを聞き、どうしてだかぼくが誇らしくなる。我が家ではぼくなんかよりもずっと妻の方が読書家なのだ。吸い込まれるように店の中に入っていく妻に続こうとしたが、ぼくは入り口の前で立ちどまる。
<SUNNY BOY BOOKS>とチョークの文字が躍る小さな黒板が目に入ったからだ。この店の看板だった。何だかほほ笑ましい。その傍らには本の詰まったダンボールがあった。ぼくは自然と箱の中をのぞきこむ。子ども向けの愛らしい作りの絵本が何冊もあった。

(うちにも子どもがうまれるんだ。)
そう思った途端、こんな子ども向けの本が、急に身近なものに感じられる。
『たべもの』と表紙にあるその小さな本を手にする。
さくらんぼ、アイス、ぶどう、バナナ………ポスターカラーの鮮やかな色の絵が続く。
なるほど、と思う。
赤ん坊のための本なので、文字ではなく、絵で、「たべもの」が描かれているのだ。
ぼくは『たべもの』を小脇に抱えたまま、箱の前にしゃがみこみ、別の一冊を引き出す。
『いないいないばあ』。
こちらも<赤ちゃんの本>とある。
ひょうきんな顔つきのクマが表紙のその絵本を、いつか見たことがあると思う。親が買ってくれたのか、保育所にあったのか。
いずれにしろ、見つめているとくすぐったい懐かしさを覚える。妻に、おいでよ、見てごらん、と言おうと思ったが、すでに店内の書棚を喰いいるように見つめている彼女はこちらにまるで気づかない。
それはそれで嬉しくなる。ぼくよりもずっと読書家の彼女がぼくの見つけた本屋さんを気に入ったのだ。店員らしきメガネの男の子に妻が笑顔で話しかける姿を確認して、ぼくは再び『いないいないばあ』に視線をおとす。

(いないいないばあ にゃあにゃが ほらほら いないいない……)
絵本の文字を辿りながらくちずさむ。一頁めくってから、ばあ、と言う。もっとも頭の中だけで。実際に、声にしてみたら、もっと楽しくなるのだろう。ましてや、子どもと一緒であるのなら。そうなのだ。ぼくはすっかり、半年後にうまれる我が子に絵本を読んでやる気分になっていた。

――いないいない……
じゅうぶんに間を置いてから、
ばあ!
と言った瞬間、ケタケタと笑いだすぼくたちの子を想像する。
男の子でも女の子でもどちらでもいい。
ぼくと妻とを、それぞれ少しずつ受け継いだ赤ん坊に、父親のぼくが絵本をよんでやる。その傍らでは、母親の彼女が、ほほ笑ましそうにくつろいでいる――

ぼくは自分の想像に胸を詰まらせていた。そう、このときのぼくときたら、あなたは父親になるのよと妻から告げられたあと、そのことの意味がからだじゅうを駆け巡ったときと同様、幸福な興奮に震えていた。

『いないいないばあ』を脇に抱えて、ぼくは再び箱の中をさぐる。
『ミッフィーのあいうえお』という1冊が目に入る。先ほどの『たべもの』と同じ作家による小さな本だ。ひらがなを覚えるための本らしい。
あと半年待たないとうまれないぼくたちの子どもにはさすがに早すぎるかな。そう思いつつもめくらずにはいられなかった。

“あ”、は、“あひる”。
“い”、は、“いちご”。
“う”、は、“うし”……

赤ん坊に

“ア” は、“あ”と書く。 “イ” は、“い”と書く・・・

そう思いながら、文字をひとつずつ、たっぷりと時間をかけて読んでいく。そして、それは“ふ”で起きた。

 

 

“ふ”

 

 

“フ”、は、“ふ”でよいのだっけ?
そう疑った瞬間、長い間忘れていたことを、突然、はっきりと思いだす。

「あ、い、う、え、お」は、「ア、イ、ウ、エ、オ」……と読む。
「ア、イ、ウ、エ、オ」は、「あ、い、う、え、お」……と書く。
そのことをまったく知らない状態で生きていた時期が、自分にも確かにあった。
ぼくだけじゃない。妻にも、妻と今談笑しているこの店の店員さんにも、誰にでも。そういう時期はあった。人は誰でもはじめから文字を知っていたわけではない。
まずはひらがなをひとつずつ覚えて、次にカタカナもひとつずつ覚えて、それから漢字も少しずつ覚えて、やっと本が読めるようになった。子どもから、大人になった。

そしてーー。
新しい子どもがまたうまれてくる。
……妻がこちらを見ている。ね、こっちきて、と表情で伝えている。ぼくは『いないいないばあ』『たべもの』そして『ミッフィーのあいうえお』を抱えて、妻のそばに立つ。
妻は、ぼくなら最初の一頁で目眩をおぼえるだろう、むずかしそうな本を愛おしそうに掲げてみせる。

「この詩人、学生の頃とっても好きだったの。」
ぼくにそう告げる妻の声は明るい。

鷹番二丁目の空を見あげながら妻がまぶしそうに目を細める。曇りのち晴れ。天気予報は当たっていた。
ぼくたちは手を繋いでうちに帰る。来たときよりも鞄が重いのは、絵本が3冊と詩集が1冊入っているからだ。
この重みが幸福でしかたがない。

26才男性 妊娠中の奥さんと2人。
居住地:武蔵小山
本:『ミッフィーのあいうえお』ディック=ブルーナ
『いないいないばあ』松谷みよ子(著)瀬川康男(イラスト)
引用:あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの
はひふへほ まみむめも やゆよ   らりるれろ わをん

 

_星の数え唄 (小島ケイタニーラブ)
素敵なコトバ 1,2,数え唄
ひらひらことば 踊るよ数え唄
素敵な気持ち 1,2,数え唄
夜空の星を 見上げて数え唄
雨が降っても 泣かないで
朝には虹さ 七色数え唄

素敵なコトバ 1,2,数え唄
夜空の星を キラキラ数え唄
素敵な気持ち 1,2,数え唄
愛しい日々を 君と数えたい

 

【店主の一言メモ】
小さい子に本を渡すと口に入れたり、回してみたり、叩いてみたり・・
読めないぶん色だったり、形だったり、感触だったりで世界と向き合っているのがわかります。
こんな風にいうとちょっとかっこいいですが、
『ミッフィーのあいうえお』『いないいないばあ』の“本”の立場からしたら、
可愛い赤ちゃんも「トイストーリー」に出てくる悪ガキ・シドにしか見えないはず。

 

ムービー撮影:朝岡英輔

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