つながりをめざす文学賞/東京新聞10月1日夕刊掲載記事(加筆修正版)
2015.10.04
2014年からはじまった「鉄犬ヘテロトピア文学賞」の情報発信ページ。選考委員ら(井鯉こま、石田千、小野正嗣、温又柔、木村友祐、姜信子、下道基行、管啓次郎、高山明、田中庸介、中村和恵、林立騎、山内明美、横山悠太)によるコラム “ヘテロトピア通信” も更新中。 (題字/鉄犬イラスト:木村勝一)
昨年からぼくは、「鉄犬へテロトピア文学賞」という賞の事務局を担当している。事務局といっても連絡係、ぼくひとりなので、局長であり局員である。
妙な名前だし、そんな文学賞聞いたことがないという方も多いかもしれない。しかし、小説家ぶったホラ話をしているわけではない。すでに二回目を迎え、八月には受賞作の発表があった。
第二回鉄犬へテロトピア文学賞の受賞作は、横山悠太さんの『吾輩ハ猫ニナル』(講談社)と、井鯉こまさんの『コンとアンジ』(筑摩書房)が同時受賞。特別賞として、松田美緒さんのCDブック『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』(アルテスパブリッシング)も選ばれた。
『吾輩ハ猫ニナル』は、中国語と日本語のハイブリッド小説という、瞠目すべき画期的手法で描かれた作品である。今の日本でこそ読まれるべき、重要な作品だ。
『コンとアンジ』は、東南アジア風の異国の舞台で織りなされる、一筋縄ではいかない恋物語。まだ見ぬ地平を探し求めるかのように、文章も物語もぴょんぴょん跳ねている。
『クレオール・ニッポン』は、日本国内はもとより、ブラジルやハワイにも残る日本人の歌を自らの足で探し求め、エッセイと歌声で瑞々しくよみがえらせた。
数々の有名な文学賞があるのに、なにゆえにまた新たな文学賞を、と思われるかもしれない。だが、次に述べるような(既存の賞にはない)別の切り口によって、あらためて顕彰されるべき作品はある。
その切り口とは、「小さな場所、はずれた地点」を根拠とし、「場違いな人々に対する温かいまなざし」を持つ、そして「日本語に変わりゆく声を与える意志」を内包した作品を選ぶ、ということ。
これは案外、候補作を見つけること自体が難しい。よって受賞作はまさに、多くの出版物の中から選ばれた特別な作品だといえるだろう。
ちなみに賞の名前にある「鉄犬」とは、正賞として贈られる「鉄犬燭台」のことである。もともと八戸在住の造形作家であるぼくの兄、木村勝一が、失踪した愛犬への思慕を込めてつくった素朴な作品だった。鉄板でつくった犬だから「鉄犬」。この賞を発案した詩人の管啓次郎さんが八戸を訪れた際に鉄犬に出会い、大の犬好きだからかとても気に入って、賞の正賞として採用した。管さんと兄の友情の証でもある。
一方、「ヘテロトピア」とは、「現実の中の異郷」または「混在郷」とも訳されるフーコーの言葉だ。この賞では、知ってると思い込んだ風景を一変させる(異郷化する)作品を讃える賞、という意味を込めている。
とはいえ、賞金も知名度もなく、勝手に贈るものだから、受賞を伝えても「いりません」と言われてしまう可能性もある。その場合は鉄犬燭台を自宅前にこっそり置いてくることを考えなければならないが、今のところ無事に受けていただいている。
選考委員は管さんを筆頭に、小説家や歴史社会学者、演出家や翻訳者など、錚々たる顔ぶれである。が、全員まったくの無報酬だし、むしろ運営費用は持ち寄りで、超多忙の合間を縫って候補作を読み、選考会に臨んでいる。
なんでみんなはこんな、経済行為やメジャー指向とは真逆のことをやってんだろう、と、このぼくも選考委員のひとりながら、ひそかに思わなくもない。でも、そこにこそ、ぼくらが暗にめざしているものがあるとも思う。
というのも、この賞は二○二○年開催の東京オリンピックを念頭に創設されたからだ。つまり、震災被災地の復興そっちのけで多額の税金を投入し、町の住人を追い立ててまで再開発する祭典に対置するものとして。
所詮はイヌの遠吠え? そう、ぼくらは遠くから挨拶を送っているのだ。だれにも気づかれないような場所で、そっと草の匂いを嗅いで世界の感触をたしかめている、まだ見ぬ仲間たちに向けて。海外に兵器まで売ろうとする「経済」よりも、人と人との温かな「つながり」を求めて。
木村 友祐 (きむら・ゆうすけ)
1970年、青森県八戸市生まれ。
日本大学芸術学部文芸学科卒業。
2009年『海猫ツリーハウス』(集英社)で第33回すばる文学賞受賞。
最新作『聖地Cs』(新潮社)。